“ヨヨヨの法則”で不祥事を未然に防ごう!

更新日:2007年12月27日

「言葉では言い表わせないような感覚がある。たとえば、道路脇の屋台のような店を見ているとき、道路の反対側で挙動不審な男の存在がわかる。気づくんだ」(『不祥事の法則 人はこうしてつまずく』より)――リスクの感知とはこういうものだろう。不祥事の要因となる「オハク」の存在。これにいかにして対処したらよいのか。


 
経営コンサルタントの佐々島宏氏は「予知」「予見」「予防」の「ヨヨヨの法則」が不祥事を防ぐと指摘する


専門分野に精通しているが、社会性が欠如した「オハク」の存在

いまや、どんな一流企業や老舗の偽装行為が発覚したところで、天地を引っ繰り返すような騒ぎにはなるまい。いかにも悪質な行為、セコイ行為があからさまになっても「ああ、またか」といった程度で、偽装への反応は徐々に鈍化していくだろう。問われるのは記者会見での潔さ、正直さ、誠実さぐらいか――。しかしコンプライアンス経営がますます厳しく求められる時世にあって、偽装の代償はふくらむ一方である。

偽装行為が企業の存続リスクをはらんでいることはわかりきっているのに、なぜ次々に発生するのか。経営コンサルタントの佐々島宏氏は、「ヨヨヨの法則」がリスク対策のポイントと説く。「ヨヨヨ」とは「予知」「予見」「予防」。この法則を機能不全にしているのが「オハク」であるというのが、佐々島氏の見解だ。

佐々島氏の新著『不祥事の法則 人はこうしてつまずく』(祥伝社)によれば、「オハク」とは「頭でっかち、コミュニケーション不得手社員」。専門分野には精通しているが、社会性が欠如していて、“気づき”に乏しい。要は職人タイプの社員だ。

「『オハク』の問題点は不祥事がすべて認識差で生まれているにもかかわらず、その認識差に気づかないし、気づこうともしない」

番頭の存在がオハクのマイナス面をカバーする

しかし、オハクの存在が組織にとってマイナスかといえば、そうではない。専門職は多かれ少なかれオハクの要素をもっているものだ。同書では老舗ホテルチェーンと居酒屋チェーンが例にあげられている。

老舗ホテルに勤める年配のチーフウェイターは息子に、「あっ、あのお客さん用がありそうだな、と感じたらすぐに目線を向ける必要がある。ところが、それを察知しようと客の顔ばかり見ていたら、何度も目が合ってしまいそれは失礼になる」とウェイターとしての心得をこと細かに説いたという。

ある居酒屋チェーンでは、酔客とのトラブルを未然に防ぐためフロア係にリタイヤした中高年を配しているという。

佐々島氏は「ベテランのウェイターは専門職という意味でオハク」という。しかし、この場合、コミュニケーションが不得手で、社会性が欠如というオハクの規定には到底あてはまらない。ベテランのウェイターはオハクのプラス面をもった専門職なのである。

問題は、オハクのマイナス面をカバーし、不祥事を防ぎ、専門能力を健全に発揮させるための体制だ。それが番頭の存在だと佐々島氏は展開する。
「昔の大店(おおだな)といわれる商店であれば『番頭』がその仕事をこなしていた。ある意味、オハクである職人と顧客との間に立ち、商売(事業)を円滑に進めていたのである」

「言葉では言い表わせないような感覚がある」

不祥事を防ぐには、対策マニュアルを整備しただけでは不十分だ。不祥事はマニュアル通りに発生してくれるとは限らないからである。「ヨヨヨの法則」のなかでも、とくに問われるのは「予知」である。これは異変を感知できる能力で、日頃、周囲の状況にどれだけ神経を張り巡らせているか。その蓄積にかかっている。

佐々島氏は、アジアやアフリカの辺境を旅することの好きな知人から聞いた話を紹介する。その知人はリスク感覚をこう話すのだ。
「言葉では言い表わせないような感覚がある。たとえば、道路脇の屋台のような店を見ているとき、道路の反対側で挙動不審な男の存在がわかる。気づくんだ。それで用心をする。もし、気づかずにぼーっとしていたら絶対に襲われるね」

挙動不審かどうか。それは、その風景に溶け込んでいる存在かが、ひとつの目安になる。溶け込んでいないことは異変であり、警戒の対象にすべきである。企業内の出来事に対しても同様だ。

しかし、リスクはチェックリストの照合で回避できるとは限らない。多くの場合、リスクの判断は瞬時に下さなければならない。それには場数を要する。つまり日頃の注意力の積み重ねで能力が培われるのだ。

いまの時代、あらゆることが起こりうる。起こりえないことはない――これは、けっして極論ではない。リスク対策としてこのぐらいの認識が必要である。

家庭の不祥事を回避する7つの常識

佐々島氏が提示する「家庭の不祥事を回避する7つの常識」も紹介しておこう。家庭は平穏に越したことはないが、事情をかかえていない家庭などごく少数だろう。この「7つの常識」に該当しない家庭もあるだろうが、アレンジして対処したらいかがだろうか。

<家庭の不祥事・回避のポイント(1)>「諭し」なしの叱責は不毛である
子供の引き起こした問題に対しては体罰、どなるだけの躾ではなく諭すことが大切。同時に「他所の子供に起こっていることは、いつでも自分の子供に起こりうる」というイマジネーションが欠かせない。

<家庭の不祥事・回避のポイント(2)>「少数派の正しさ」に自信を持て!いじめに遭っている子供に3つの武器を与えたら克服できた。3つとは「自分に非はない」「孤立しても自分を見失わない」「家族という絶対的な味方がいる」

<家庭の不祥事・回避のポイント(3)>家庭における「自由」と「強制」
子供が親に口答えをせずに「はい」「はい」と従順だったら幸福とはいえない。「子供とは親の言うことをきかない存在である」という前提に立ったうえで、間違った考え方や行動に対しては修正をする。

<家庭の不祥事・回避のポイント(4)>家事手伝いは想像力育成の宝庫
ものの成り立ちを正しく認識できない人が、人の成り立ち、事件の成り立ちを正しく認識することはありえない。つまり「ことの本質」がわからない。それらを意識的に認識する努力が必要で、有効なのは「家事」である。家事を通じて想像力を養える。

<家庭の不祥事・回避のポイント(5)>「役」が予見力を養う
家庭において困った事態が発生したとき、各人が問題解決のためによかれと思って遂行するプロセスがさらにトラブルを招くことがある。その体験のなかで、家庭の中での「役」を理解でき、「木も見て、森も見る」資質が備わってくる。

<家庭の不祥事・回避のポイント(6)>ダメな家庭は頭から腐る
子供への叱責は自分にも向けられる。「パパ、だったら自分はどうなのよ?」と。この対決を発生させないためには4つをわきまえること。
●自分のできないこと、できなかったことを強制的に相手に求めない。
●「鳶は鷹を生まない」ということをまず前提にする。
●子供はよくで自分の2割増し。
●言ってることと、やってることが同じ。

<家庭の不祥事・回避のポイント(7)>コミュニケーションの「ツボ」とは
「男は黙って」ですめばよいが、そうはいかない。「饒舌な親父」ぐらいがちょうどいいが、饒舌なのは自分だけ、ではコミュニケーションが成立しない。他者にも饒舌を認めなければならない。