立ち食いステーキという新ジャンルを切り開き、躍動するペッパーフードサービスが注目だ。昨年末、東京・銀座で開店した「いきなり!ステーキ」が、1年で30店まで拡大するというのだからそれも当然だろう。一時は決算書にゴーイング・コンサーン(継続企業の前提)の注記が付き、苦境に陥った同社がどうしてここまで復活できたのか。一瀬社長の奮闘を聞く。 (清丸惠三郎)

 --昨年末に立ち上げた新業態、立ち食いステーキが好調です

 「『いきなり!ステーキ』の名前で去年暮れと今年1月に銀座4、6丁目に立て続けに開店したところ、20坪の小型店にもかかわらず予想を超える客数となり、売上高も採算ラインを大きく上回りました。ただ、銀座という特別な場所で通用しても他の場所で成功するとはかぎらない。そこで当社の地元で、繁華街でもない墨田区吾妻橋でトライアルしたところ、予想を大きく上回る数字を達成でき、このビジネスモデルは行けるぞ、と確信を持ちました」

 --年内30店舗と大号令をかけています

 「吾妻橋より集客力のあるロケーションは、極端に言えばいくらでもある。それで、当初年内10店舗と言っていたのを『30店舗やるぞ』と。7月末時点で新宿、渋谷など12店舗が決まり、年内目標の開店数にこぎ着けられる見通しです。今のところ首都圏だけですが、近畿圏からも問い合わせが相次いでおり、遠からず進出したいと考えています」

 --ニューヨークにも出店予定だと

 「日本のど真ん中の銀座に出店したので、次は世界の中心ニューヨーク、それもマンハッタンに出そうと。以前からの夢でしたから。これが実現できればブランディングにも有効だし、社員の士気高揚、人材確保にも役立つ。旧知のニューヨーク在住の弁護士に話をしたところ、『米国人100人のうち100人がステーキを立って食べたいなどと言わないよ』と笑われました。ただ、ニューヨークのような大きな街では、職業も貧富も考え方も違う人がいっぱいいるから、逆にファイトをかき立てられています。それに今はネット社会、時間に追われる人がたくさんいますから」

 --ここに至るまで随分浮沈が激しかった

 「あまり言いたくはないのですが、2007年5月の大阪での不祥事、2年後、09年9月の山口県の店での食中毒事件と問題が相次ぎ赤字に転落し、決算報告書にゴーイング・コンサーンの注記が付きました。12年2月期に黒字転換して注記が消えるまで、社会的信用は失墜するし、銀行はお金を貸してくれないわで…。しかし、究極のプラス発想かもしれませんが、そのすべてがコンプライアンス重視を含め、今の当社のために役立っていると思っています」

 --注記が消えると同時に、上野にこれまでにない大型の店を出した

 「12年3月に、かつて私がコックとして働いていた上野駅前の“じゅらくビル”に、従来の『ペッパーランチ』だと広すぎるのですが、76坪の物件が出た。そこで『社員の士気高揚になる』『あの会社は死んでいないのだ、と取引先やお客さんに認識してもらう』『金融機関などにどこにそんなパワーがあるのかと見直してもらう』ことを考えて進出を決断しました。名前を『ペッパーランチ ダイナー』とし、レストランスタイルでメニューやアルコールの種類も増やし、お客さま単価を上げる設計にしたところうまくいき、反転攻勢のきっかけになりました」

 --今後の展開は

 「『いきなり!ステーキ』の多店舗化に全力を投入し、『ペッパーランチ』は信用も回復できてきたので、出店戦略を加速するつもりです。その場合、いま東南アジアで成功しているようにエリアごとに提携企業を決め、エリアフランチャイズ権を授与して、店舗展開する方法を考えています。国内も地域ごとにフランチャイズ権を与えた企業に任せる形にし、中期的には、現在の282店舗(うち海外174店舗)を国内1000店、海外2000店体制にもっていきたいですね」

 【ブレークスルー】 よく使う言葉の1つ。「向島時代に毎日のように店に来てくれるお客さんがいた。経営が厳しくなっていたときだったので、『どうやったらもうかりますかね』とたずねてみたところ、『人のやらないことをやることだよ』という答えが返ってきた」。それがブレークスルーにつながる。

 「『ペッパーランチ』を始めたのが51歳。これから料理人を育て、店を増やしていったのではとても時間が足りない。自分のこだわりをマニュアル化し、調理機器も開発して、素人でも1カ月でプロの料理人なみの料理を提供できるようにしますということでチェーン化を進めた。レストラン業界の常識をぶち破ったわけで、『ペッパーランチ』は私の発明だと自負しています。それだけに、簡単にできたわけではないですよ」

 【澤田秀雄】 ハウステンボス(長崎)の澤田社長がペッパーフードサービスの海外戦略担当顧問に、一瀬氏はハウステンボスの飲食顧問に就いている。

 「ハウステンボス復活の記事を読み、あそこに店を出したいと思い、アポを入れたところ、すぐ会ってくれた。そのうえ数日のうちに長崎へきてくださいと」

 店名などさまざまなやり取りはあったが、ほどなく出店に合意。2人は意気投合し、互いに顧問になりましょうということになったそうだ。

 【馬上行動】 「走りながら考える」という一瀬氏の経営身上であるとともに社内報のタイトルでもある。

 同氏は17年間毎月、この社内報の巻頭に「社長から皆さんへ」という3000字余りの原稿を載せ、欠かしたことがない。社員に次々と辞められた過去の苦い記憶が、社員とのコミュニケーションを大事にしたいという気持ちにつながっている。

 【母親思い】 「僕は父親を知らない。母親は小唄の師匠をしながら、父親の分も愛情を注いで育ててくれた。だから僕は、自分の母親を悪く言ったり、感謝したりしない者は人間として大きくなれないし、幸福にもなれないと思っています。もちろん成功もしませんよ」

 ■会社メモ 中堅外食チェーン。本社・東京都墨田区。ステーキの店「ペッパーランチ」を中核に各種レストランを運営。1970年2月、一瀬氏が東京・向島に開いた「キッチンくに」が出発点。94年からフランチャイズビジネスに乗り出す。店舗数は「ペッパーランチ」282店(海外含む)、「92’S(クニズ)」13店、「炭焼きステーキ くに」8店、「牛たん仙台なとり」8店、「いきなり!ステーキ」7店など(2014年7月末)。資本金約7億2000万円。売上高56億8600万円。従業員数115人(13年12月末)。

 ■一瀬邦夫(いちのせ・くにお) 1942年10月、静岡市生まれ、東京育ちの71歳。母子家庭で育ち、高校卒業とともに東京・赤坂の山王ホテルなどでコックとして修業し、27歳で独立。51歳のとき、「スタートの後れを取り戻すブレークスルーの武器として“素人でもすぐに調理できるシステム”」を開発。低価格ステーキチェーン「ペッパーランチ」を立ち上げた。遅咲きだが、なかなかのアイデアマンで行動派。苦労人だけに語り口にも説得力がある。

 

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