ノバルティス事件・なぜ、臨床データの不正はおこなわれたのか

2015年10月08日 公開

谷岡一郎(大阪商業大学学長、社会学博士)

不正行為を誘発する最大の原因

 

スポンサーの存在

 ノバルティス事件とは、製薬会社がスポンサーとなり、大学の医師や教授たちに多額の研究費を支出したケースである。製薬会社から大学病院関係への支出は、なんとなくありそうな話だと不思議には感じないだろうが、民間企業などが研究費を出すケースはほかにもいろいろある。

 たとえば、「効率的なエンジン」「毒性の少ない農薬」「速く走れるシューズや速く泳げる水着」「栄養価が高く、カロリーの少ないジュース」「災害時に役立つグッズ」「住みやすい(デザインのいい)住居」などなど。新しいものを開発するときに、大学や研究所の高等教育機関に依頼することは、ビジネス界では日常的に行われている。

 むろん、将来的に回収しうる投資的行為であり、商業活動の一環としてなされているのであるが、直接の利益はなくとも支出がなされることは多々ある。研究活動による社会への貢献、市場動向や効果の検証など、会社がもつ知名度や知識の増大化も、つきつめていけば将来の組織のプラスをめざす行動に含まれるだろう。

 たまに商業的損得を考えずに支出される研究費もある。主として企業体のイメージを上げるためのメセナ(芸術文化支援)活動的支出であるが、これは利益の一部を社会に還元するために行われる。どうせ税金にもっていかれる部分がほとんどなら、経費の一部としてメセナ活動に計上するのは悪い考えではなく、長期的に考えるなら、企業のファンをふやすことにも役立つであろう。

 

結果へのプレッシャー

 ノバルティス事件は、完成した薬の臨床研究に関するスキャンダルであったが、当然、その薬を開発するとき(もしくは、それ以前)から大学との関係は深い。企業側は、効果的な新薬を開発することが将来の利益につながることを期待して研究費を支出するのであるが、研究費をもらう大学および研究者側にも、当然、メリットはある。

 その研究費で効果的な新薬をつくったとするなら、大学と本人の業績および評判は高くなり、その研究者は学会内でもライバルとの競争において優位を主張することができ、ついでに新薬販売のベンチャーに参画する可能性も開ける。最後のベンチャーはたんに金銭的なプラスであるが、それが小さな動機でないことは誰もが認めるであろう。

 なお、研究費のうちの一定割合(たとえば15パーセント)は間接経費(機器や施設・設備の使用や人件費)として大学(学部)の収入となる。これも少なからぬ金額であり、獲得した学部の対外的・対内的発言権の増大は、自然な結果である。

 このように、双方にメリットのある研究開発(研究費の支出)であるが、そのメリットこそが不正行為を誘発する最大の原因でもある。つまり、結果が出ないのは、企業と大学(研究者)にとって好ましくないことであるからだ。

 「結果を出す」ことをスポンサーと研究者の双方が共通の念願として強く求めた場合、「イカサマをしてでも」という力学が働くかもしれないのである。それが今回のノバルティス事件の根本的な原因と言ってもよいだろう。

 スポンサーとしての製薬企業と、研究費を受け取る側の研究者と大学の関係を図示すると、図のようになる。このサイクルは繰り返しが可能で、ベンチャーで儲かったのち、それに改良を加えるためや、次の新薬の開発に向けて研究費が予算化されうる。逆に言えば、双方ともこのサイクルをとめたくないというのが本音で、そのために結果を出すことは、それ自体が目的化していることになる。そこに、結果が出ないことへの不安とプレッシャーが生ずることになる。

 大学においてこのような不正への誘惑が起こりうることは、過去の歴史もふまえて、ある程度想定されており、医学部などで学ぶ院生たちや、ほかの学部学生に対し一定の倫理コードが存在する。

 その倫理コードは、カリキュラム内に組み込まれるケースが普通であり、将来の研究者候補は、「スポンサーとの矛盾した利害が生じたケースにおいて、どのような行動規範に従うべきか」という教育と訓練を受けるのが常となる。ただし、必修の課目でないケースもあって、それは各大学(学部・コース)・研究機関に委ねられているのが実情である。

 問題は、研究者のなかには規範と倫理に従わない者がいるということと、企業側の社員――この社員もノルマ達成や昇進という目標をもつ――にはそのようなカリキュラムが(普通は)ないという事実であろう。そんななか、事件は起こったようだ。

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