『コミック・モーニング』で連載中の漫画。これは5か月に1冊単行本が出る。

今は、弟のヒビトの話が中心。兄より先に宇宙飛行士になって、アメリカのNASAから月へ行ったヒビト。しかし、月での事故の後遺症で「宇宙恐怖症」になってしまう。

それを克服して、今度はロシアの宇宙船で宇宙飛行士として再起すべくトレーニングを続け、他のロシア人飛行士とのコミュニケーションを取ることに、必死に頑張っている。その様子が、泣けるんだよねえ。


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(2017、7、5読了)

<2006年12月16日13:40に書き始めました。そんな記録が残っていることが、すごいなあ。>

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今年(2006年)の流行語大賞などには出てこなかったけど、元・村上ファンドの村上世彰氏の、

「お金を儲けるのは悪いことですか」

という言葉、これには当時、誰も答えられなかったような気がしました。ウグッと詰まってしまったような。

「でもやっぱり違う、おかしい」

と思いました。なぜ違うのか考えた時に、この村上氏の発言は、7~8年前に頻出した、

「なぜ、人を殺しちゃいけないの?」

という子どもの質問に似ているなと思いました。

「社会的常識に欠ける」

という点で。「ダメだ」ということが、あまりに当たり前なので、盲点を突かれた気もしましたが。

その仕事の「社会貢献度」に応じた額でなければ悪いこと。

「マネーゲーム」は、その額に比べ「社会貢献度が低い」ので良くない。

「社会貢献度」とはその仕事によって「幸せになる人の数」と「不幸せになる人の数」差。

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と、ここまでが「2006年12月」に書いたメモです。

ずっと気になっていた言葉なんです。

それで、11年経った「2017年6月27日」に、急に閃いたんです、これに対する「答え」が。テストだったら、時間がかかり過ぎて落第ですが、テストじゃないから別に時間制限はないもんね。それを書きます。

「小泉内閣の『自衛隊の行くところは"非戦闘地域"』発言から始まり、『2万%ない』と言っていたのに出馬した橋下・元大阪府知事などの"劇場型の政治家"と、それを支持した人たちによって形成された。『結果が良ければ、手段は何でもいい』という考え方。『結果が全て』と。『儲かればいい、手段は問わない』。村上ファンドが『お金を儲けることは悪いことですか?』にようやく答えられる。

『その手段が法的にも倫理的にも正当で、その結果が大きすぎなければ、お金を儲けることは悪いことではない。しかし、『限度を超えた金儲けは悪いこと』である。なぜなら、儲け過ぎる反対側には、損をする人がいる。限度を超える儲けには、法的か倫理的に、正当ではない手段が、必ず使われているからだ。』

いかがでしょうか?

なんだ、11年前とほとんど内容が変わってないじゃん!むしろ11年前のほうが、よく考えられているのでは?進歩が無いなあ、長い事考えた割りには・・・ちょっとがっかり。

一方、これは「たまたま」なんですが、この発言をした、

「村上世彰氏」

が、十数年ぶりに(?)再びマスコミに登場しました。本を出したみたいです。その宣伝のためでしょう、『週刊文春』の、阿川佐和子のインタビューコーナーにも登場しました。(『生涯投資家』。出版元は、やはり「文藝春秋社」。「フジテレビ&ニッポン放送買収問題」がらみのことも書かれているようなので、つい買ってしまいました。この本を買ってもらうことで彼が得られる「お金(儲け)」は、正当なものだと思います。)

写真を見て驚きました。あの欽ちゃん(萩本欽一さん)みたいな、年より少し若い感じの風貌(この本の「帯」に、当時の写真が使われています)から、髪が真っ白で、まるで別人!裏表紙の折り返しに載っている「著者近影」は年相応、いや年齢以上に老けた感じになっているではありませんか!「1959年8月生まれ」なのでまだ57歳なのに「10歳以上も上」に見える。まるで、玉手箱を開けた「浦島太郎」のように・・・。

そう、

「『玉手箱』は『加速器』」

だったのです。「時間を加速させるもの」です。そして、

「『限度を超える金儲け』もまた『加速器』」

なのではないでしょうか?村上氏は「玉手箱」を開けてしまった・・・。

(2017、7、14)

「大」のドイツ武者修行編第2弾。4か月ごとに単行本、出るんですね。音楽漫画。

ついに見つけたパートナーの小柄な女性ベース奏者・ハンナを追って、ミュンヘンからハンブルグへ。

「言語」ではない、「音楽」という世界共通の「ことば」と「熱意・情熱」で「ともだちの和」を広げていく、主人公・大。大きな大きな「世界一のジャズプレーヤーになる」という目標を目指して一直線。パッション!!

自分を信じて、ひたすら一途に取り組む姿勢は、気高くさえあると思う。


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(2017、7、4読了)

今年5月、中1の娘が、

「十三詣り」

というのに行きました。兵庫県の「十三(じゅうそう)」は関係ありません。京都の嵐山のお寺でやっている(?)そうで、お参りに行きました。あ、「ウィキペディア」から転載。

<旧暦の3月13日前後 (新暦の3月13日から5月13日)に、男女とも数え年13歳でおこなう祝いである。子供の多福・開運を祈り、小学校を卒業して中学校に入学する春に寺社に詣でる形式が一般的。特に京都嵯峨の虚空蔵法輪寺における虚空蔵菩薩への「十三参り」は有名>

そうそう、京都嵯峨の虚空蔵(こうくうぞう)法輪寺!行ってきました。

その前に、家族の記念写真を撮りに、写真スタジオに行きました。そこにあった「スタジオアリス」の広告に、

「ハーフバースデー」

というのがありました。「バースデー=誕生日」は、

「1年に1回」

ですが、生まれてすぐの赤ちゃんの成長を考えると、

「生まれて半年経った『月誕生日』(?)」

のことを言うんでしょうかね?

少子化の中で、しかも「写真」はみんな、ケータイやスマホでめちゃくちゃ綺麗に撮れる時代に、こういった写真仕事をやっていくためには、色んなイベントを考えなきゃいけないんだなあ・・・というふうに感じました。

グーグル検索では(7月12日)、

「ハーフバーデー」=76万2000件

もありました。よく読んでみると、「ハーフバースデー」は、もともと英米で行われていた風習で、

「学校の長期休暇中に誕生日を迎える子は、友達にお祝いされずにかわいそうなので、誕生日の6か月前や6か月後に、学校のみんなでお祝いをしようというもの」

だったそうです。えー!全然違うじゃん!でもまあ、日本でも最近は、

「夏休み中の8月生まれの人のお誕生会」

「7月」か「9月」の人と一緒にやったりしますけどね、保育所とかでは。

そういったものが日本では、

「離乳食が始まる時期なので『離乳食ケーキ』を食べさせてあげたりもする」

ようです。赤ちゃんにとっては「ありがた迷惑」かも。絶対にそんなことしても、大きくなって覚えてないよね。それらは「親の我がまま」では?でも、

「お食い初め」

も同じか。また、お父さんお母さんにとっても、

「子育てを、半年間 頑張ってきたことへのねぎらい」

という意味で実施されることもあるそうなんですが、「子どもが生まれて半年」なんてまだ「ねぎらい」も何も、

「子育て・赤ちゃん育ての真っ只中」

ではないですか!そんな余裕、ありませんよ。あ、まだ「育児休暇中」だから、働き出すまでよりは余裕があるのかな?どうなのかなあ。やってもいいけど、やらなくてもいいかな。何事も、そうですけどね。

(2017、7、12)

サウジアラビアのサルマン国王が、2017年3月12日から4日間の予定で来日しましたが、その同行者が何と1000人!ということや、高齢の国王が飛行機から降りる際に、タラップの代わりに専用のエスカレーターを用意していたことなどで注目を集めました。

ここで、質問が。

「王室」と「王族」の違いは?

『「王様」がいるのが「王国」。その支配者の中枢が「王室」。その周辺にいる"親戚"が「王族」。つまり、「王族」のほうが人数が多く、「王室」は少ない。』

と考えたのですが、どうでしょうか?

日本の場合は、「天皇」は「王様」ではなく「国民統合の象徴」なので、「王室」ではなく「皇室」

一方、「皇族」は、天皇を除く「皇統譜」に載っている人たちの総称。

「皇室」は「天皇&皇族」です。

という意味では「皇室」と「皇族」の違いはハッキリしていますが、「王室・王族」も、同じと考えていいのですかね?

ちなみにこれは、このへんまで書きかけたまま、4か月以上ほったらかしになっていたので、何となくタイムリー感がなくなってしまいましたが、そのうちまた、話題が回って来ることもあるでしょうから、書き残しておきますね。

(2017、7、12)

ネットのニュースで、『日経エンタテインメント』7月号からの記事を見ていたら、最近、ワタナベエンターテイメント(いわゆる「ナベプロ」ですよね?)のタレントが活躍しているという記事が出ていました。(執筆:遠藤敏文、木村尚恵両氏の名前あり)

その中で気になった表現は、

「地肩(をつけさせる)」

という表現。2回出て来ました。これって、

「地力」

でいいんじゃない?「地肩」って。

「野球のピッチャーやキャッチャー・外野手などに使う言葉」

なのでは?(「内野手」には、あまり求められない気がします。「ショート」以外は。)

「地肩が強い」

というように。「地」ですから「もともと」ですよね。それが「強い・弱い」はあっても、「つけさせる」

ことができるのかなあ?「地力」は「基本となる力」なので、成長の余地はあるように思いますが。この「地肩」って、「エンタメ業界」ではよく使われる言葉なんでしょうか?それとも記事を書いた記者が、元は「スポーツ担当記者」だったのでしょうか?わかりませんが。

もう一つ、気になった表現は、

「いまは自家発電できる芸人でないと使ってもらえない」

という一文の中の、

「自家発電」

これの意味は、

「多くの芸人の中の一人として『賑やかし』で番組に出ているのではなくて、自らのネタで番組を盛り上げることができる」

というようなことだと思うのですが、これも結構、無理やり使っているような感じがしました。

(2017、7、12)

7月11日にツイッター経由で見た、グリコのインスタントカレー「LEE」のコマーシャル。ふだんは「×20(20倍)」の辛さまでのカレーしかないそうですが、期間限定で、

「×30」(30倍)

のカレーを出しているんだそうです。さて、そのCMの画面いっぱいに出て来た文字は、「辛い」の上にルビが「うま」と。つまり、

「辛(うま)い」

という表記でした。

なるほどね。「ルビ」にはこういう使い方もあるんだな、と改めて思いました。

これは、例えば「スイーツ」だと、

「甘(うま)い」

なんて応用も利きますね。

もし、これが「マトンカレー」だったら、

「羊辛(うま)い」

となって、

「『ヒツジ』なのに『ウマ』い」

・・・なんちゃって。

ああ、「×30」のカレーが食べくなってきたー!思うツボだあ!!!

(2017、7、12)

7月12日の「読売新聞」朝刊の「編集手帳」で、前日の7月11日に「改正組織犯罪処罰法」が施行されたことについて、書いていました。

そのまとめ部分に、こんな一文がありました。

「警察創設史をひもといても無駄にはなるまい」

この中の、

「ひもといても」(「ひもとく」)

は、「紐解く」とも「繙く」とも書くようですが、

「本を開く・読む」

ことを指します。昔の本には紐が付いていた。今でも古い本・和書で、紐の付いたものを見かけることはあります。だから「本を読む・開く」ことを「ひもとく」と言うのですね。そして、

「歴史をひもとく」

は、よく使われる表現です。そこからの類推で、

「謎をひもとく」

等とも使われています。しかしこれは、本来は間違いです。

たぶん、「歴史」の場合は、

「歴史"書"をひもとく」

ことで「歴史が明らかになる」ので、「書」を省略して、

「歴史をひもとく」

と使われるのでしょう。これは「許容」でしょうね。

今回の「編集手帳」での「警察創設史」という「歴史」も、そこからの類推で「ひもとく」を竹内政明さんが使ったのだと思います。

その竹内さん、この間、7月6日の読売新聞に、うちの森若佐紀子アナウンサーとの対談が載っていました。というのは「編集手帳」の朗読を、関西では読売テレビのアナウンサーたちが、この6月から行っているからなんですね。お世話になっています!

将棋の藤井聡太四段の話題で、将棋のルールもわからない人たちも巻き込んで、ちょっとしたブームになっていますよね。そこで、よく問題にされるのが、

「囲碁」=打つ

「将棋」=指す

ということなのです。特に今回は「将棋」なので、

「指す」

と言わないといけないのに、つい、

「打つ」

というとお叱りを受ける。

しかし、ちょっと待った!

本当に「将棋」は「指す」だけなのでしょうか?

将棋の記事を読んでいると、

「駒を打つ」

という表現が出て来ます。平成ことば事情6367「4一玉打」で書いたように、「玉」を

「打つ」のはあり得ませんが、きょう(7月12日)の読売新聞に載っていた、「第30期竜王戦 4組決勝 第7譜」の棋譜では、

「3三銀打」

と表現していました。相手から取った駒を、盤面に指す場合は、

「打つ」

と言うのですね。また、「持ち駒を打つ」だけではなく、きのう(7月11日)の読売新聞に載っていた、「第30期竜王戦 4組決勝 第6譜」の小暮克洋記者の記事でも、

「4二金と打つのが好手段」

というように「打つ」が出て来ました。「将棋」に「打つ」もあるのです!

「指す」と「打つ」の使い分けは、どうなんでしょうねえ?

あ、「好手段」も気になるな。

九州の豪雨災害、お見舞い申し上げます。

「線状降雨帯」

聞き慣れない言葉ですが、2年前の栃木・鬼怒川の災害でも、こういった気象状況になったそうですね・・・。

7月7日の昼休みにたまたま食堂で一緒になった、九州・福岡出身のアナウンサー・M先輩が、

「九州豪雨のニュースを見ていて気になるのが、『流木が流れて来た』という表現。NHKも使っている。これって『重複』でしょ」

全然、気付きませんでした。しかしそれを聞いてから、よーく耳に神経を集中すると、確かにそうしゃべっている人もいます。「ミヤネ屋」で宮根さんも、

「大量の流木が山から流れて来て」

と言っていました。あまり気にならない・気付かないですが、当然、

「流木が流れて来る」

のではなく、

「山の木が流れたものが『流木』と呼ばれる」

のですよね。

今回は、山間の所で被害が大きくなり、木と共に大量の土砂が流れて来て被害を大きくしたということで、単なる「木」が「流れて来て」というよりは、流れた結果の、

「流木」

という「キーワード」を使いたくなるのですね。

「フリートーク」では、ある程度は仕方がないですが、「ナレーション原稿」では避けたい表現ですね。

(追記)

南極で巨大な氷山が割れたことで、周囲への環境の変化が懸念されるというニュースを、7月13日の午前10時のNHKニュースでやっていました。

それで思い出しました、というかその前の日に気付いたのですが、

「『流氷』は『流れ着く』」

と言いますねあ・・・・混乱。

これは、「流氷」のほうが「固有名詞的」に「一語意識」が強く、「流氷」の中の「流」の意味が薄れていると考えられます。

「犯罪を犯す」「犯罪」のような感じですね。重複だけど「許容」

「流木」は、まだそのレベルには達していない、ということではないでしょうか。

(2017、7、13)


(2017、7、7)