伊丹十三

【生年月日】1933年5月15日
【没年月日】1997年12月20日
【職業】俳優・映画監督
【映画】お葬式(1984年)タンポポ(1985年)マルサの女(1987年)

1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンション下で遺体となって発見された。
事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「死をもって潔白を証明する」との文言があったが、死の真相は依然として謎である。

写真週刊誌「フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺とする説や、「ミンボーの女」公開後に襲撃事件があった経緯から、当初から暴力団の関与を疑う声はあり、映画「マルタイの女」を快く思わない暴力団や某宗教法人が関与したという説もある。
また、伊丹は自殺の5日前まで、医療廃棄物問題の取材を続けており、その問題を追及していて殺されたとする説もある。

【伊丹十三襲撃事件】
1992年5月22日8時40分ごろ、世田谷区自宅付近のマンション近くの駐車場で、映画監督の伊丹十三(当時55歳)が、車から降りようとするところを複数の男に襲撃されて、左顔面、くび筋、耳などを鋭利な刃物で切られ、重傷を負った。
伊丹は当時民事暴力介入をテーマにした映画、「ミンボーの女」を制作。5月16日に公開がスタートしたばかりだった。そして事件から6ヵ月半後の12月3日、警視庁は後藤組組員5人を傷害の容疑で逮捕。5人は同月末に全員起訴され、その後、懲役4~6年の実刑判決を受けた。

岡田有希子

【生年月日】1967年8月22日
【没年月日】1986年4月8日
【職業】アイドル歌手

日本テレビの『スター誕生』の第46回決戦大会で優勝。桜田淳子や松田聖子らを輩出していたサンミュージックから、アイドル歌手としてデビューし、ポスト松田聖子として期待された。
あっという間にスターの座に上り詰めたが、絶頂期を迎えた1986年4月8日にサンミュージックの屋上から飛び降り自殺を図った。

【自殺の原因】
岡田はTBSドラマ『禁じられたマリコ』で共演した、かなり年上の俳優の峰岸徹に弄ばれたとか、彼の子供を妊娠したとか、それらが自殺の原因かのような無責任な憶測や噂が飛び交ったんです」(ワイドショー関係者) 
死後に岡田が残した一冊のノートが発見される。その日記風のノートには、相手の男性の名前(峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという。(サイゾー)

上原美優

【生年月日】1987年5月2日
【没年月日】2011年5月12日
【職業】タレント

【事件】東京都目黒区のマンション自室で交際中の一般男性と過ごしていたが、「2時間ほど一人にして欲しい」と男性を外出させた。その後、外出先の男性の携帯電話に死をほのめかすメールが着信し、折り返し電話をかけても彼女が出なかったため、男性が上原宅に向かうと、自室のドアにスカーフとベルトで首を吊っており、5月12日午前3時37分に病院で死亡が確認された。

【謎のメモ】所持品の手帳には「お母さんが死んで辛い。このままのスタイルで仕事して先行きどうなるか」というメモが残されていたが、これとは別に解読不明のなぐり書きのようなメモ(写真)を残している。メモには「隼床躬行手残」と記されているが、美優さんの出身地である種子島に森の中の小屋に同じメッセージ(隼床躬行手残)が残されており、謎を深めている。

このメモの画像に関して、漫画家の赤星たみこさんが自身の父が亡くなる直前に書いたものだと明かし、注意を呼びかけた。これは赤星さんが2008年10月31日付のブログで公開したもの。3年前(当時)に亡くなった父がその12時間ほど前に書き遺したもので、赤星さんはその困難な解読の協力をファンに求めていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141111-00000017-rbb-ent

【AV監督村西とおるの告白】
命をおとされた上原美優さまの男も、今や芸能界の悪の権化と化した「なんとか連合」の幹部でございます。先頃海老さまが伊藤リオン受刑者に殴られた現場に居た、海老さまと相対していた張本人でございます。
一部のマスコミ報道で美優さまと死の二時間前まで一緒にいて、美優さまの首吊り死体を発見した「某飲食店に勤める黒服の恋人」と称されている男でございます。この男の正体は某飲食店に勤める黒服の恋人、などではなく美優さまが所属するプロダクションのトップの男でございます。そしてバリバリの「なんとか連合」の元幹部でもございます。
かねてから美優さまは働いても働いても喰うだけが精一杯のギャラのその安さに心底疲れて芸能界で活動することに絶望していました。先に天国に行ったお母さんのもとへ行きたい、と思いつめていたのでした。そしてヒトデナシの野郎が監視の目を離したスキに首を吊ってお母さまのもとに旅立たれたのでございます。
報道では美優さまの手書きの遺書が残されていて、それが何を書いていたか分からないほどに乱れていた、とあたかも美優さまが心を病んでいたかのような状況証拠が伝えられておりますが「ねつ造」でございます。立ち会っていた男が美優さまの心神喪失として遺書を誤魔化すために現場を作り上げたのでございます。(引用:村西とおるのブログ)

(某芸能プロダクションは村西とおるに対して、名誉棄損の訴えを提起していたが、第一審は勝訴している。現在村西側は控訴している。)

飯島愛

【生年月日】1972年10月31日
【没年月日】2008年12月27日
【職業】AV女優 タレント

【事件】2008年12月24日、東京都渋谷区桜丘町の渋谷インフォスタワーの自室にて死亡しているのが親戚の女性によって発見された。
その後、警察の調査によって、発見時から死後1週間ほど経過していたことから、死亡推定日は12月17日前後とされている。
しかし、24日に担架に乗せられて運ばれる飯島さんを見た人が「苦しそうな表情」「顔色が悪かった」と話していることが報道されており、この話が真実であれば、死亡推定日時には生きていたことになる。

【死因】
通常1週間ほどで出る病理検査の結果が遅れたこともあり、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。
遺体から覚醒剤反応が出たという噂が流れたが、結局2カ月後、直接の死因は肺炎だと警察が発表。しかし、その後も別の薬物による死亡説、飯島が始める予定だった女性向けコンドーム会社を巡る金銭トラブルなど、“死の謎”が、さまざま報じられた。

【女子高生コンクリート詰め殺人事件】
事件当時(1988年)、飯島は主犯の少年と交際していて、被害者の監禁場所に居合わせることもあり、事件現場で被害者の少女の顔にマジックで落書きをした人物こそが飯島愛だというのです。
飯島と交際していたとされる主犯の少年は懲役20年。2008年ごろに刑務所から出所したと言われている。元恋人が社会復帰することで、事件への関与が明るみになる可能性もあったのです。
このネットの噂について、飯島愛はブログで「私は殺人事件に関わった事実はありません」と否定していた。

【薬物使用疑惑】
彼女が死亡しているのが発見されたときに、渋谷署の捜査員は禁止薬物の検査キットをマンションに持ち込んでいます。実は、亡くなる一年近く前の2008年1月の深夜、彼女が一人で渋谷署の受付にふらりと現れ、『クスリを飲んでおかしくなっちゃった』と切り出したことがあったのです。このときは尿検査をしたものの禁止薬物が検出されなかったので自宅に帰したそうですが、以来、渋谷署は彼女をマークしていました。(週刊文春)

【ASKAとの交際】
報道で飯島さんが死亡していたことが明らかになると、ASKAが突然パニックを起こした。信頼する芸能界の有力者やごく一部の後援者らに、「どうしよう、やばいことになった」と相談に行くようになった。
その内容というのが、「彼女が亡くなる数カ月前に彼女のマンションでMDMA(合成麻薬)を使って交友していたところをビデオに撮られてしまった」というものだったのです。
ビデオについては、ASKAの説明によると、「自分が知らないうちに彼女がビデオで撮っていた」と言っていた。そのピデオテープは、飯島さんの死亡が明らかになってから、「警察がマンションに来るまでのあいだに持ち去られてしまった。持ち去ったのは、彼女の知人の会社社長ではないか」とも言っていました。(週刊文春)

【接点は運転手】
ASKAの元ドライバーX氏はASKAの他に、こちらも薬物疑惑が報じられた元大物アスリートの運転手を務めているとの情報は既に報じた。
さらにこのX氏は飯島さんの個人事務所にかつて在籍し、身の回りの世話をしていたことが本紙取材で判明したのだ。
2006年11月、飯島さんが自身のブログで個人事務所の経理担当者の男性に大金を横領されたことを公表。当時を知る関係者が声を潜めて「持ち逃げされた金額は1億円にこそ達しないものの、かなりの大金だった。X氏はケータイ番号も変え、音信不通に。ただ不思議なのはそれほどの大金を横領されておきながら、飯島さんが警察に被害届を出さなかったこと。(東スポ)

【スマイリーキクチ中傷被害事件】
1999年から2009年までの約10年間、ネット上で「キクチがコンクリ事件の犯人である」と誹謗中傷を受け続けた事件。2009年1月までに中傷犯19人が検挙され、7人が検察に書類送検された。
事件の犯人は未成年であったため、少年法の規定により匿名報道となっていた。ネット上では「出身地が犯行現場である足立区」「犯人グループと同世代」「10代の時にグレていた」芸能人として、キクチがコンクリ事件の犯人として扱われるようになっていた。

AYA(牧野田彩)

【生年月日】1980年2月17日
【没年月日】 2010年10月23日
【職業】AV女優 歌手(「L☆IS」のメンバー)

【事件】都内の自宅マンションから投身自殺した。理由は不明だが、生前から複数のジャニーズタレントと親しい関係にあったと噂され、死の直前には「自分は芸能界の大物に狙われている。殺される、助けて!」と複数の友人に電話を掛けていたようである。
その後に写真週刊誌にジャニーズタレントと彩との親しげな写真が公表されるが、自殺との関係は不明である。

【大麻3P疑惑】
2008年7月に発売された「週刊現代」で、いまやSMAPを抜いて男性トップアイドルの座に上り詰めた嵐のリーダー・大野智の"大麻3P疑惑"という記事が、大野と女性が絡んでいる写真付きで報じられた。誌面上では匿名になっていたが、その写真を提供し、「カラオケボックスで大野が大麻を吸引していた」などとのインタビューに答えたのがAYAさんだったのだ。
しかし、ジャニーズ事務所が講談社に「事実無根」と厳重抗議したことで、真相は闇に葬られた。それからしばらく経ってから、AYAさんは自身が持っていた、大野だけではなく、ジャニタレの乱痴気パーティーを連想させるような写真を、ある芸能界の有力者に預けた。その中には、AYAさんが交際してきたジャニタレが多数含まれていたようだ。この写真が業界の一部に流出、それを取り上げるメディアが出てきた。
AYAさんは自殺する直前は生活に困ってAV女優に転身していたが、もともとは"小室ファミリー"の一員として華やかに芸能界デビューした。明るい性格で、芸能人の親友も多かったと聞く。TOKIOの長瀬智也とも、長瀬が浜崎あゆみとの熱愛が発覚する前に噂になったことがある。さらに嵐のメンバーで言えば、大野だけではなく、松本潤、二宮和也、相葉雅紀とも関係していたことを、AYAさん自身が親しくしていた芸能関係者に語っていたようだ。(日刊サイゾー)

沖田浩之

【生年月日】1963年1月7日
【没年月日】1999年3月27日(満36歳没)
【職業】歌手・俳優

1999年3月27日に自宅で首吊り自殺を図り死去。その理由は不明である。自殺の原因は当時、仕事が減っていたことに悩んでの自殺ではないかと囁かれた。なお沖田だけでなく、弁護士の祖父、企業経営者であった父(1996年9月)、父の生前から経営を引き継いでいた兄(2002年4月)など、置鮎(沖田の本名)家は3代で4人の自殺者を出している。

「沖田君が亡くなった原因は、はっきり言って借金の問題ですよ」と沖田の叔父が断言する。
沖田は、神奈川県の川崎市内で不動産業やゴルフ会員権を扱う会社を経営する、裕福な家に生まれた。自殺した当時、会社は兄が継いでいたが、その業績は決して順調ではなかったという。

ベテラン芸能記者が振り返って言う。
「沖田が死ぬ3年前の96年に、経営を退いていた父親が、会社を傾かせた長男を心配して“俺の保険金で負債を返済しろ”と言い残して自殺したのです。以来、沖田にも巨額の借金があるのではとの噂が、事あるごとに取り沙汰されました」

当時の登記簿謄本を見ると、兄が社長を務めていた「共栄不動産」は、川崎市役所の近くに5階建ての自社ビルを所有していたことが分かる。ところが、ここには極度額3億円もの根抵当権が設定されていた。また、実家は兄の言葉通り沖田が相続していたものの、地元の金融機関から8000万円の抵当権が設定されていたのである。(週刊新潮)

坂井泉水

【生年月日】1967年2月6日
【没年月日】2007年5月27日(満40歳没)
【職業】歌手

脳挫傷で急逝した人気音楽ユニット「ZARD」のボーカル、坂井泉水さん(本名・蒲池幸子)の死因にさまざまな憶測が飛び交っている。
自殺と事故の両面で調べを進める警視庁によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場で、頭から血を流してあおむけで倒れているところを通行人に発見された。坂井さんは病棟脇にある非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられている。

【事故説】
ある音楽関係者は「身辺整理をしていなかった。詞を書くなど、復帰に前向きだった」と自殺説を完全否定する。
坂井さんは発見時、私服で病室のベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていた。さらに、坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語る。
乗り越えたとされる手すりは1階部分で、警視庁では「自殺で3メートルの高さは低すぎる」と漏らす捜査関係者もいる。

【自殺説】
「患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。自らの意思で乗り越えたとしか思えない。状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている」
警視庁の発表によれば、坂井さんが手すりを乗り越えた痕跡が見つかっている。

中森明菜/近藤真彦/小杉理宇造

【生年月日】1965年7月13日
【職業】アイドル歌手

1982年にシングル「スローモーション」でデビューし、2枚目のシングル「少女A」がヒット。その後も、次々とヒット曲を出し、1985年の「ミ・アモーレ」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞する。
1989年、デビュー以来所属していた芸能プロダクション研音から独立する。12月31日には、近藤も同席し謝罪会見を行った。

【自殺未遂と金屏風事件】
89年7月11日、「近藤真彦宅での自殺未遂」は日本中に衝撃を与えた。
その日、明菜は近藤のマンションで、浴室で血を流して倒れていた。近藤が帰宅すると、明菜は「ごめんなさい」と泣きじゃくるばかりである。「担当医から左ひじの内側を真一文字に切った写真を見せてもらって、これは大変なことだと思ったし、傷跡が残ることも考えられたね」
研音の社長として対応に追われた花見は、あまりの傷の深さに愕然となった。切れた血管や神経をつなぐために、実に6時間もの大手術が必要であった。
慈恵医大病院の前で行われた会見では「責任はわれわれにある」と言うのが精一杯だった。なぜならば花見は、いや、研音の誰1人として明菜に会うことを許されていない。その「面会謝絶」が解除されたのは、事件から1カ月が過ぎてのことである。

この年の大みそか、紅白歌合戦と同時刻に抜き打ちの会見が始まった。明菜と、友人という形で近藤が出席。会見場には金屏風が用意されていたものの、ひたすら謝罪に徹する明菜には似合わない“背景”であった。花見ら研音スタッフは、この会見にかかわることはなかった。すべてはジャニーズ側の仕切りであり、明菜サイドには数人のワーナースタッフがついたくらいである。