赤福会長の辞任

赤福の偽装事件は、白い恋人事件に続き、私たちに大きなショックを与えました。ある関西地方の男性は、「今まで赤福をたくさん食べていつもおいしく出来立てとばかり思ってた。自分の味覚が信じられない。よほどの冷解凍技術なのだろうがくやしい・・・」と正直な感想を述べていました。

今回の事件をうけて、赤福本社では、社長を息子に譲りながらも代表権をもつ会長に君臨していた浜田益嗣氏が10月31日付けで会長を辞任することが明らかになりました。

浜田会長は、「自分は営業畑出身で製造の方がおそろかになった」、「自分が指示したことはない」と直接的な関与に否定しながらも、「(不正の)一番の原因は、鮮度商品を広い範囲に拡販したこと」「一番の原因は私」ということで謝罪をしました。

浜田会長といえば、伊勢神宮前に「おかげ横丁」をつくり伊勢への観光客を呼び戻し、豪腕で知られる地方財界の有力者です。赤福の不正については、99年ころ「もちの再利用」などを認識していたといいます。

また冷凍保管については73年に始まっていたといいます。もちの再利用を認識したことから「コントロール室」を設置し、当日販売を徹底したためそれ以来不正はなくなったはずだという認識だったと本人は釈明していました。

浜田元会長の会見では、常に「ご先祖様に申し訳ない」という言葉が飛び出しました。また、偽装についても常に「現場の智恵が入った」と自らの責任を回避するかのようなコメントが目立ちます。有名ブランドでありながら親族経営会社にありがちな消費者不在の側面を見て取ることができそうです。


赤福社員の証言

赤福の偽装はどのように行われていたのでしょうか?名古屋市から営業禁止処分を受けた名古屋営業所の所員の証言は以下のようなものだったそうです。

名古屋に営業所が出来たのは2004年のことで、伊勢、大阪に次ぐ販売重要拠点の構築の狙いがありました。表向きには、20人の営業所員が名古屋を中心とする愛知県内にルート営業をし、赤福を配送していく役割を担っていたといいます。

しかし、裏の役割として、製造年月日が印刷された売れ残り商品が持ち込まれる35平方メートルほどの部屋があり、そこで「まき直し」と呼ばれる偽装のための再包装の作業が恒常的に行われていました。

また、3個パックで売られていた商品については、製造年月日を本来より1日先のものをつける「先付け」という偽装も恒常的に行われていたそうです。
現場では、本社の指示によって、その日に売れ残った赤福を回収し、約40度の冷凍庫に入れ、翌日朝からまき直しをし、約80度のスチームで再び解凍していました。

包装紙には最後の解凍日を製造年月日として刻印し、その後に「・」(ピリオド)を入れ、まき直し品であることがわかるようにしていたといいます。

社員の証言から、赤福において本社の指示と現場の作業が一体となり、組織的に偽装を行う体制が構築されていたことを伺うことができるのです。


おかしいと思いながら慣習で

先ほどの社員は、賞味期限を一日先に延ばす「先付け」と呼ばれる行為についても、「おかしいと思いながら慣習で行っていた。本社の指示に従うほかなかった」と証言しています。

今回の赤福の不祥事に一貫して見られるのは、有名ブランドとして影響力も販売量も大きな規模になりながら、親族経営の域を脱皮していない会社のずさんな管理体制が浮かび上がります。

別の社員は、「おかしいといえば、“じゃぁ、明日からこんでもええ”という雰囲気があった」と振り返ります。この点は、北海道の牛肉偽装のミートホープと共通している点です。

赤福の浜田会長は「現場の智恵が入った」と、あたかも最前線の現場で起こったことで私の目の届かないところで行われたかのような言葉を強調し繰り返しています。
しかし、社員の証言などから冷静に判断すると、やはりすべてが明確な本社の指示で行われていたのであり、むしろ現場はやらされていたにすぎないという構図が浮かびあがってくるのです。

会長でありながら、本社の指示内容を把握していないというのでは経営者として失格と言われても仕方ありません。
そのような点からすると、「現場の智恵が入った」という言葉を繰り返すのも、自分はともかく社長である息子だけは赤福の権力者として温存したいというこれまた親族会社ならではの発想があるように感じられてなりません。



 

Copyright (C) 2007 赤福の不祥事から考える食の安全 All Rights Reserved.