2013年2月18日 (月)

福島県で起きたミステリー事件ファイル

 我が福島県は、東日本大震災の福島第一原子力発電所の水蒸気爆発事故以来、放射性物質の飛散により、被災地や被災者と呼ばれるようになり、避難や立ち入り制限を余儀なくされている。また、予期せぬ風評被害に苛まれることになり、生活は一変した。東電からは示談金なのか、はたまた口止め料なのか、雀の涙程度の賠償金を貰っただけで、除染は進まず、未だに基幹産業だった農業・水産業は再開のメドすら立たない。そんな福島県にあって、最大のミステリーは「原発事故」に勝るものはないが、震災前の平和で自然豊かな我が郷里にあって、得体の知れぬ怪事件や未だ未可決の不可解な難事件が、主に昭和期を中心に起きた。今回は、そうした出来事を回顧したい。ただし、被害者の人権や遺族感情を逆なでするつもりは毛頭なく、犯罪が多発している現代社会において、二度と同じ事件に遭わないように予防線を張る意味で掲載するものであることをお断りしておきたい。またそうした事情から画像や映像の埋め込み処理は行いませんのであしからず。

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 1 庭坂事件

 1948年(昭和23年)、福島県信夫郡庭坂村(現福島市 在庭坂)で起きた列車往来妨害事件。1948年(昭和23年)4月27日午前0 時4分、国鉄奥羽本線赤岩 - 庭坂間を走行していた、青森発上野行402列車が馬洞門トンネルを出て間もなく、機関車と郵便車が脱線、10メートル下の土堤下へ転落し岩石に激突、連結されていた荷物車と客車1台も脱線した。岩石の破片が直撃した機関士、助手の2名が即死、技師が重傷、後に死亡した。

 現場検証によると、事件発生の地点は庭坂駅から1.8kmに位置し、下り勾配のR300のカーブで、脱線地点付近の線路継目板2枚、犬釘6本、ボルト4本が抜き取られていた。誰が何のために行ったのか、何者かによる謀略説、保線作業後の線路継目板取付け失念説などが疑われたが、いずれも確証が得られずに現在に至り、真相は不明。

 この頃の国鉄は、人員整理を断行しようとして労働組合と対立し、溝が深まっていた。国鉄三大ミステリー事件(三鷹事件・下山事件・松川事件)と同じ時期に起きた難事件である。

「事件現場の現況を記したブログ」

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 2 松川事件

  1949年8月17日、午前3時9分(当時は米軍占領下でサマータイムが実施されていたため 現在時刻にすると午前2時9分)頃、福島県松川町を通過中だった東北本線上り列車が、 突如脱線転覆する事件がおこった。この事件による死亡者は3人、いずれも列車を牽引していた蒸気機関車の乗務員で、発足したばかりの日本国有鉄道公社(国鉄、現在のJR)の職員だった。
 事件が起きたのは東北本線松川駅-金谷川駅間のカーブの曲がり鼻地点で 検証の結果、転覆地点付近の線路継目部のボルト・ナットがゆるめられ、継ぎ目板がはずされているのが確認された。さらにレールを枕木上に固定する犬釘も多数抜かれており、25mのレール自体、ほとんどまっすぐなまま13mも移動していた。明らかに何者かによる意図的列車妨害であった。この事件時、レールを外す怪しい9人の姿を目撃した佐藤金作は、その中の1人の日本人が後をつけてきて「口外すればアメリカの裁判にかけられる」と脅した。そして事件の5日後、GHQの出先機関であるCICの福島事務所に出頭するよう見知らぬ男に告げられた。佐藤は身の危険を感じ、弟のいる横浜に逃げ、三輸車の運転手をして身を隠したが、2カ月後の1950年1月12日に行方不明になり、40日後水死休で発見された。知らせで弟が駆けつけたが,既にどういうわけか警察により遺体は火葬に付されていた。これもミステリーである。

 9月10日、元国労福島支部組合員で国鉄の第一次整理の際解雇されていた赤間青年(非党員)を別件逮捕し、強引な自白強要の末に嘘の自白・「赤間自白」を引き出す。
 そしてこれに前後して国労福島支部幹部および東芝松川労組幹部等(ほとんどが共産党員)を次々と逮捕、厳しい取り調べ=自白強要の末、さらにいくつかの嘘の自白を引き出したのである最初に逮捕された赤間青年の自白を最大の根拠に、合計20人が列車妨害の「謀議」をなし、あるいはその「実行犯」であるとして起訴された。1951年12月6日、第一審の福島地裁は検察側の主張をほぼ認めた形で5人を「死刑」、5人を「無期懲役」、10人を有期の懲役とし、全員有罪の判決を下した。1953年12月22日、控訴審の仙台高裁は検察側主張の一部を否認し3人の無実を認めたが、他の17人に関しては死刑4人を含む有罪判決であった。
 一方、作家・廣津和郎さんらの呼びかけで多くの文化人も加わった「松川事件救援運動」は裁判の進展とともに次第に盛りあがりを見せ、「無実の者を殺すな」という世論も大きく広がっていった。こうした中1959年8月10日、最高裁は被告たちによる謀議が存在したという検察側主張と下級審の事実認定に疑問を呈し、また重要なアリバイに関するメモ(実行犯の一人とされていた佐藤一さんが、謀議に参加することが不可能であったことを立証する「諏訪メモ」)の証拠価値を認め、原判決を破棄し仙台高裁に差し戻した。 
 1961年8月8日、仙台高裁は被告全員に無罪判決を言い渡した。検察側は、激しい世論の非難にもかかわらず、なおも再上告を強行する。しかし1963年9月19日、最高裁は検察側の上告を棄却。こうして被告全員の完全無罪が確定したのである。この事件の真犯人は一体誰なのか。そして命を奪われた3人の方々の御霊はいつまでも浮かばれない・・・。

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 3 犯人扱いされた中3が思いつめた挙句自殺した「ザザンボ」事件

 福島県田村郡三春町にある山あいの小さなK中学校で起きた事件。知的障害のある14歳の中学校3年生の男子生徒が遺書に「学校がこわい」と19回も繰り返し書いて、自宅近くの葉たばこ乾燥小屋の中で首吊り自殺した。
 学校で公金と教師の貯金通帳と印鑑が盗まれ、教師4人がこの男子生徒に暴行を加えるなどして詰問。その後、犯人が見つかったが、この生徒は、再び共犯を疑われ、「犯人の名前を書け」などと責め立てられた。それを苦にして自殺を図ったと断定された。この事件により、校長は引責辞職、教頭と教諭ひとりが戒告、他の3人の教師は文書戒告処分を受けた。PTAは事件に関係した教師の行政処分軽減の嘆願署名を集めた。男子生徒は家族によって殺害されたという噂が村じゅうに立ったからだ。しかし、警察は検死鑑定の結果、「自殺に疑いはない」と断定し発表。

 その後、1992年11月に福島在住の映画監督が、同事件を題材にした映画「ザザンボ」を製作。それは「家族による他殺」を示唆する内容になっていた。この映画化についてもかなり問題が取り沙汰された。
 本来この映画は、松竹のプロデューサー奥山和由が監督に対し「天皇・同和・警察問題さえ扱わなければ好きなものを撮って構わない」と言って製作費を渡したことから企画された映画である。映画は無事完成し、第5回東京国際映画祭で上映される運びとなるが、松竹側は公開・配給を拒否した。理由は、死んだ少年の家に天皇家の写真が飾られているというシーンが、「天皇問題を扱わない」という事前の約束に反したためであり、松竹側は譲歩条件としてそのシーンを削除することを提案したが、それを「旧態依然たるムラ社会の象徴」として表現したかった監督はその条件をのまず、松竹からフィルムを買い取って全国で自主配給・興行を行い、様々な話題を呼んだ。
 後に題材となった少年の遺族から訴訟を起こされ、人権問題にも発展している。また、監督が遺族に無断で男子生徒を土葬した墓を掘り起こしていたことも判明し、大問題となった。

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 4 幼児殺害&謎の少女失踪事件

  ①小山田小4年の女児誘拐殺人事件

 昭和56年4月29日、郡山市小山田小4年生だった寺島久美ちゃんが、学校帰り、突如行方不明となった。その20日後の5月19日、自宅から約10キロ離れた同市中田町の山林で、山菜採りに来た会社員が、うつぶせにして埋められていた久美ちゃんの遺体を発見した。 
 県警・郡山署は殺人・死体遺棄事件として捜査本部を設置したが、殺害場所や日時が特定できず、捜査は難航した。有力な手掛かりが得られないまま、昭和61年5月には捜査本部が解散。その後も同署の刑事一課を中心に延べ約2万6700人の捜査員を投入し、継続捜査を続けたが、犯人逮捕には至らず、1996年4月29日午前零時に時効を迎えた。当時、私は16歳の高校生だったが、祖父の自宅が希望ヶ丘にあり、近所で起きた怪事件だっただけに、その衝撃も大きかった。不可解にして謎だらけの事件である。通り魔的な変質者による可能性が高いのではないか。久美ちゃんのご冥福を祈るしかない。

  ②船引小・石井舞ちゃん失踪事件

 1991年7月25日、福島県の阿武隈山系に位置する船引町で、建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が、深夜、親戚の子供達と一緒に川の字で寝ていたが、彼女だけが家から忽然と消え、行方不明となった。
 事件から20年以上経った今も発見につながる情報はない。誰かが連れ去ったとの見方が有力だが、未だに事件に巻き込まれたこと自体が謎である。北朝鮮の工作員の拉致という説もあったし、家業が建設会社で、仕事上のトラブルでの怨恨説、更には監禁説などさまざまな憶測が渦巻いた。しかし、就寝中の舞ちゃんを連れ去れるのは内部の人間でしかない。しかも身内以外の指紋は採取されなかった。とすれば、有力なのは、従業員Kの逆恨みによる犯行説だが、彼を夜中に郡山駅まで乗せたというタクシーの運転手の証言が飛び出したことから、警察は彼を釈放し、捜査が振り出しに戻ってしまった。
 私は個人的に、このKの当日の行動を考えればKと友人のグル説で、真犯人は間違いなくKだと思っている。彼は暴走族上がりで、シンナー中毒に陥り、それを舞ちゃんの父親に度々注意されるほどの危険人物であった。それなのに、当時の捜査本部は、なぜかこれ以上Kを詰問しなかった。私は、この初動捜査ミスが、長期化させている原因だと思っている。石井舞ちゃんは今どこに?そしてKは?
 事件があった現場は、道路拡張のため、近所に移転したが、両親は、今も彼女が無事に帰ってくることを信じ、彼女の部屋をそっくりそのままの形で復元し帰りを待ちわびている。無事であれば現在(2013年2月時点で)28歳になっている。

 今も捜査協力を求める福島県警のHP

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 5 須賀川女祈祷師による信者6人撲殺事件

 1995年7月5日、福島県須賀川市小作田の祈祷師・江藤幸子(当時47歳)方で、傷害容疑で家宅捜索していた須賀川署員が、1階の八畳間で男性2人、女性4人の計6つの遺体を発見。江藤と信者3人が緊急逮捕された。
 江藤と信者らは「悪魔祓い」と称して、信者の全身を太鼓ばちで叩き死亡させていた。
 2002年5月、福島地裁で江藤に死刑判決。即日控訴し、2005年11月22日、仙台高裁・田中亮一裁判長は「社会に与えた不安と衝撃は軽視できない」と控訴を棄却。2008年9月16日、最高裁・藤田宙靖裁判長は上告を棄却。江藤の死刑が確定。2012年執行。

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 6 相馬高3女子行方不明事件

 2011年2月に福島県南相馬市で行方不明になっていた、県立相馬農業高校3年の清水沙也香さん(18)が、震災の不明者捜索中の先月18日に遺体で発見された。発見場所は同市小高区の警戒区域内で、DNA鑑定の結果、清水さんと確認された。 
 清水さんが最後に会った20歳代の男性は、福島県警の聴取後に自殺している。発見された清水さんには事件性を示す刺し傷などはなかった。死因は不明。 
 清水さんの遺体は損傷がひどく、身元不明のまま南相馬市が4月19日に引き取り、火葬された。県警では交友関係などを捜査し、事件性の有無を調べる。 
 大がかりな遺体の捜索中に発見された清水さんは生還しなかった。行方不明の背景に何があったのかとても気になる。手がかりなどは津波に流されてしまったのかもしれないが、警察の今後の捜査に期待をしたい。

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 7 南相馬市歯科助士失踪事件

 1994年2月19日、増山ひとみさんが福島県原町市日の出町の勤務先から帰宅途中に行方がわからなくなった。増山さんは3週間後に結婚を控えていた。 彼女が婚約してから自宅に不審な無言電話や不審な事が起きていた。 彼女の使っていた手帳に「お昼休みにO(具体的な名前)というOLがTEL。彼(婚約者)にはほかに切れていない女がいたらしい。でもわりと冷静。もしかの勘があたってた。彼は嫌がらせだという。そんな女は知らないと否定、信じよう」と書かれていた。

 これは紛れも無く、結婚トラブルだ。行きずりではないだろうし、結婚に絡み、複雑に絡み合った愛憎劇が生んだ事件に違いない。このOが真相を知っているのは間違いないのに、警察の捜査は一体どうなっているのか?警察の捜査の甘さがここでも露呈。私はこうした事件では被害者は、長期監禁されているとは考えにくい。だとしたら、言いづらいのだが、もうこの世にはいないような気がしてしまう。または、増山さん自身が、直前になって結婚を取りやめたくなり、自ら身を隠し、地元を離れたか?であろう。後者は考えにくいので、結論は厳しい方向になる。

 今も捜査協力を求める福島県警のHP

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 8 女子教員宅便槽内怪死事件

 平成元年2月28日の18時ごろ、都路村内の小学校に勤める女性教員のAさん(23)が、住居としている小学校に隣接した教員住宅に帰宅し、トイレに入って何気なく中を覗くと靴のようなものが見えた。(※靴のうち1足が頭部付近にあった。もう一足は自宅付近の土手で発見された)
 驚いて外の汲み取り口へ周ると蓋が開いていて、中を覗くと人間の足が見えた。Aさんはすぐに教頭先生ほか同僚の教員を呼び、同僚の先生が警察へ通報した。まず近くの駐在から警官が駆け付け、続いて村の消防団員と三春署員が到着した。署員らは便槽から中の人物を引っ張りだそうとするが狭くて出すことができず、周りを重機で掘り起こし、便槽を壊してどうにか出すことができた。(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)便槽の中の人物はすでに死亡していた。遺体は真冬というのに上半身裸で、着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。
 遺体はその場でホースの水で洗われ、さらに運ばれた消防団の詰所で洗われ、医師による検案が行われた。検案で死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定された。狭い場所で圧迫され凍死してしまったという見解である。体にはヒジ、ヒザにすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。争った形跡も無い。死後硬直の状況から26日頃に死亡したものと思われた。
 遺体の身元はすぐに判明した。現場から車で10分ほどの村内に住むSさん(26)だったからである。警察はSさんが覗き目的で便槽内に侵入し、狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。

 発生場所は今は取り壊されている。詳しくは「大島てるの事故物件」サイトへ

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 9 郡山市17歳女性殺人・死体遺棄事件

 2000年4月2日、郡山市逢瀬町の高篠山森林公園北東側にある大久保川上流で、同市大槻町の無職 山岸亜世美さん=当時(17)=が他殺体で見つかった殺人・死体遺棄事件。
 郡山市逢瀬町多田野の大久保川で、若い女性の遺体が岩にひっかかっているのを渓流釣りに来た男性が見つけ、郡山署に届け出た。両手足をしばられ、首にひも状のものが巻かれていた。県警が身元確認をしたところ、今年1月、家族から捜索願が出されていた郡山市、アルバイト山岸亜世美(あせみ)さん(17)とわかった。司法解剖して死因を調べている。家族によると、山岸さんは1月18日に家を出たまま行方不明になっていた。
 遺体発見から13年を迎えようとしているが、郡山署の捜査本部はこれまで、延べ約3万人以上の捜査員を動員し、聞き込み捜査を行って来た。しかし、山岸さんの交友関係が年齢層、人数ともに幅広く、県内外に及ぶのに加え、行方が分からなくなってから遺体発見まで2カ月以上が経過していた事などから捜査は今も難航している。

 事件の概要

福島県警の情報提供を呼びかけるHP

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10 いわき狂言強盗でっち上げ事件

 1978年10月7日午前零時半ごろ、福島県いわき市の民家に強盗が押し入った。強盗は家にいた主婦の手足を縛りあげ、タンスの中にあった財布から2500円を奪って逃走した。主婦は警察に通報し、駆けつけた警察官から事情聴取を受けた。この際、主婦は気が動転していたため、犯人の人相や襲われた状況をうまく説明できなかった。その様子を見たいわき東署の警察官は、主婦が嘘をついていると思い込み、狂言強盗事件として捜査を始めた。初動捜査を誤ったいわき東署は、主婦を完全に犯人扱いし、3日間にも及ぶ厳しい取り調べを行なった。主婦は当初から無実を訴えていたが、警察官は全く耳を貸さず、勝手に自白調書を書き上げていった。連日の厳しい取り調べに疲弊し、これ以上拘束されることを恐れた主婦は、渋々調書にサインし、やってもいない狂言強盗を認めた。自白調書を得たいわき東署は、主婦を軽犯罪法違反(虚偽申告)で検挙し、いわき区検察庁に送致した。その後、主婦はいわき簡易裁判所で科料3000円の略式命令を受けた。
 しかし、その翌年の1月、別の強盗事件で埼玉県警大宮警察署に逮捕された犯人が、余罪として、「いわき市で主婦を襲った」と自供したため、主婦の無実が証明されることとなった。

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11 会津若松で高校生が母親を殺害して首を切断した事件

 2007年5月15日午前7時ごろ福島県会津若松市の会津若松署で同市の県立高校3年の男子生徒(17歳)が「母親を殺害しました」と言って自首して来た。少年は切断された女性の頭部を通学用の黒い布製ショルダーバッグに入れて持ってきていた。その際応対した女性警官は生首と目が合い卒倒して医務室に運び込まれたという。署員が少年の自宅アパートに駆けつけたところ、布団の上で母親(47歳)が頭部を切断されて死んでおり、同署は少年を殺人容疑で緊急逮捕する。5月16日、殺人と死体損壊の疑いで少年を送検した。
 少年の実家は福島県大沼郡金山町で、約60キロ離れた会津若松市の高校に通うためアパートを借りていた。弟と一緒に住んでいたが、弟は別の部屋にいて気づかなかったという。母親は保育士で大沼郡内に勤務していた。14日は午後6時過ぎに仕事を終え、アパートを訪れていた。15日は母親の47歳の誕生日だった。猟奇的な尊属殺人に、当時会津若松市内は恐怖に戦いた。そして連日マスコミ取材が大挙して押し寄せ、ワイドショーを賑わせた。

 この現場となったアパートは、会津花春町(御薬園の東側の角地)にあり、現在は廃アパートとなっている。ストリートビューでも、Yahoo!地図の航空写真でも確認できます。

 ほかにも高校生が関わった殺人事件は、郡山市に住む県立高校に通う男子生徒が、別れ話のもつれから、同じ市内の私立高校に通う女子生徒を市内開成の自宅マンションで絞殺。その母親が死体遺棄を幇助した事件があった。

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12 いわき日産サニー強殺事件

 1967年(昭和42年)10月27日、福島県いわき市で発生した強盗殺人事件。10月27日深夜、日産サニー福島販売いわき営業所内で、宿直員(当時29歳)が何者かに刃物で刺されて死亡し、金庫にあった現金「2100円位」と男性用ズボン1本が奪われた。被害者は犯人と格闘したとみられ、全身に20か所以上の刺し傷を負っていた。捜査が難航し、迷宮入りも噂されていた翌1968年5月7日、神社の床下にあった大工道具を持ち出そうとしたとして、窃盗の疑いで逮捕された電電公社職員の男性(当時29歳)が、本事件の犯行を自供したとして再逮捕された。物的証拠はなく、容疑者の自白だけが逮捕の根拠だった。
 公判が開始されると、被告は犯行の全面否認を行い、当日のアリバイや動機がないことなどを訴えた。1969年4月2日、福島地裁いわき支部は被告を有罪として無期懲役を言い渡した。アリバイは家族の証言のみだったため却下された。1970年(昭和45年)4月16日、仙台高裁が控訴を棄却。1971年(昭和46年)4月19日、最高裁が上告を棄却し無期懲役が確定した。

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13 自宅トイレで男児出産、自室で刺殺 女子高生逮捕

 福島県警本宮署は産んだばかりの男児を自宅で殺害したとして、殺人容疑で同県本宮市の高校2年の少女(17)を逮捕した。「自宅のトイレで産み、自分の部屋で殺した」と容疑を認めた。
 調べでは、少女は2009年1月29日、午後1時から3時ごろ、男児を出産した直後に、刃物のようなもので頭を刺すなどして殺害した疑い。

 県警によると、少女は29日に登校後、具合が悪くなり昼ごろ早退。その後、病院へ行った際に「赤ん坊を産んで部屋に置いてある」と説明、家族が部屋のこたつの中に、布にくるまれた遺体を見つけた。家族や学校関係者は少女の妊娠に気付かなかったという。

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14 警察が2つの殺人事件の証拠を紛失

 2012年12月18日、福島県警は、以前二本松市と小野町で発生した2つの殺人事件について、証拠品あわせて168点が所在不明であると発表した。
 事件は、1995年に二本松市で当時50歳の男性の白骨死体が見つかった事件と、1997年に小野町で当時49歳の女性が殺害された事件。二本松市の事件では、刃物の破片やビデオテープなど29点が、小野町の事件では、被害者の衣服など139点が所在不明だということで、いずれも容疑者の逮捕には至っていない。
 県警では去年5月、県警本部に長期未解決事件捜査係を設置し、各署で管理していた証拠物を本部内で保管する事にした。 その際、捜査書類に書いてあった証拠物が実際には無い事が分かったもの。(FCTニュースより)

 追 記

 2014年も残念なことに、福島県警は不祥事が相次いだ。相次ぐ幹部クラスの自殺、県警本部内での盗難事件など、福島県の治安を守る公安組織である警察内で、あってはならない事件が相次いで起きたのは遺憾としか言いようがない。震災以降、何かと精神的に追い込まれている県民の信頼を取り戻すべく、犯罪防止への取り組みを徹底してもらいたいと願う。

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15 郡山の中2女子が行方不明(H27.7.20追記) 

 平成27年、長野から4月に故郷の郡山市に引越しで戻ってきて、郡山市西部にある第N中に通っていた中2女子が6月24日から突然行方不明になった。失踪から一ヶ月近く経った7月20日現在も所在不明のままで、家出をするような出来事は一切なく、事件に巻き込まれた可能性が高い。母親が娘の携帯のGPS機能で足取りを追跡したところ、東京駅近くの書店のトイレで女子生徒の携帯が水没していることが発見された。本人が所在を確認されるのを恐れて自ら携帯を廃棄したのか、誘拐犯が証拠隠滅のために捨てたのか、すべてが謎だらけの事件で、一刻も早い発見が望まれる。

 新聞やテレビのニュース、ワイドショーでは、実名入りの報道がなされていますが、当ブログでは、本人のプライバシーとご家族の心中を察し、実名掲載は致しません。

 この日(7月20日)の午後、この少女が自ら郡山警察署に出頭し、保護された。事件性は低いと見て、この少女から失踪の経緯やその後の足取りを事情聴取している。

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16 会津若松市内の進学校で高2女子生徒が縊死 (H27.9.26追記)

 地元の新聞や県教育委員会発表では、遺族の意向を尊重し、学校名や詳細を伏せて報道しているが、高校の校内で女子生徒が縊死するというショッキングな事故が起きた。
 「大島てる」の事故物件サイトに投稿された記載によれば、会津若松市内の或る県立の進学校において、9月19日(土)の午前4時頃に、同校の高校2年生の女子生徒が、女子トイレ内において首吊り自殺しているのを、娘が帰宅しないと届けがあって、その行方を捜していた同校の教員が発見した。すでに心肺停止状態で、その後死亡が確認された。死亡推定時刻はシルバーウィーク前日の18日(金)午後5時頃と見られている。
 文化系の部活動内での友人トラブルが原因との報道があり、学校側が60名以上いる部員にアンケート調査を実施したところ、7名の部員から複数の部員同士のトラブルがあったと回答があった。何らかの人間トラブルが自殺の発端となったのは明白。今後、校内でいじめの兆候がなかったかなど、必要があれば調査を行うとしている。
 このニュースは全国ニュースになり、Yahoo!ニュースにも見出しで掲載された。

 なお、同校では1994年8月にも、当時柔道部員だった2年生男子生徒が、合宿中に熱中症が原因で死亡する事故が起きていた。裁判では、顧問教師の過失を認め、5,500万円の損害賠償が確定した。

 私自身は、故人とその遺族の名誉を守ると同時に、コンプライアンス重視、情報リテラシー順守で、実名掲載はしませんが、2ちゃんねるなどでは、真相究明を求め、学校名、部活動名とその集合写真、さらには加害者と思しき者の顔写真や実名までが掲載されている。同じ高校に通う生徒の誹謗や中傷的な投稿であると容易に想像がつく内容だが、度の過ぎる批判は個人攻撃となり、更なる悲劇を生む危険性があるため、憶測で語るべきではないと考えている。したがって、当サイトでは報道されている事実のみを掲載しました。ご了承ください。

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 さて、いかがでしたか。こうした未解決事件ファイルを目の当たりにしてどう感じたでしょうか。福島県は田舎で、死と隣り合わせの恐怖心など微塵も感じないほど、安全で安心して暮らせる場所と考えていた方がほとんどだろうが、実際には、これだけの不可解な事件が起きている土地柄である。中には冤罪になった例や、迷宮入りしてしまった居た堪れない事件も含まれている。犯罪は人間の奥底にいつでも潜んでいる。それは警察官や教員、公務員であっても同じで、「魔が差す」という理由で事件は起こり得る。事実、相次ぐ盗撮事件やわいせつ事件がそのことを証明している。「人を見れば泥棒と思え」などという言葉が流行した時期があったが、何か人を信じることもはばかれるような事件が多いのは残念としか言いようがない。それよりもいつ何時、犯罪に巻き込まれるかわからない状況を作らない、近づかないことが肝要かと思う。結論は「君子危うきに近寄らず」である。

 今後、同じような事件で命を落とすケースがないことをひたすら祈りたい。

<関連ブログ>

「郡山の事件簿」

「郡山のミステリースポット」

「磐梯熱海・猪苗代周辺マジやばスポット」

「磐梯熱海・猪苗代周辺ミステリー探険」

 「福島県の犯罪歴一覧」

 記事作成:2月6日(水)