暴力団と共犯関係者に

北海道警察保安課銃器対策室に異動して逮捕されるまでの約八年間、私は常に漠然とした不安に苛まれていました。いつ、どういう形で自分と警察組織がなり振りかまわず行ってきた違法捜査が露顕し、そのとき自分はどのように罪を償うのだろうか。まさか、このままで定年を迎えられるはずがない。そう思いながらも、私の生活はどんどん常軌を逸したものになっていきました。

私は「銃器対策のエース」と呼ばれることもありました。銃器対策課に所属した時代を含め、私が現役の刑事だった頃に押収した拳銃は100丁を軽く上回ります。警察組織からは何度も表彰され、100枚以上の賞状をもらいました。そのなかには、警察表彰規則で〈警察職員として多大な功労があると認められる者に対して授与する〉と定められた「賞詞」もあります。

しかし、内実を明らかにすれば、それは人に誇れるようなものではありませんでした。

銃器を摘発するためには、暴力団関係者や社会の裏側で生きる人間と付き合わなければなりません。彼らを情報提供者、すなわちエス(スパイの頭文字Sを取ってこう呼ばれます)に仕立てないと、拳銃を押収することなどできないからです。

そのためには、彼らと共犯に限りなく近い関係になることが必要不可欠でした。そして、私がどこから拳銃を入手してくるのか、常に上司には報告をしていたので、道警の幹部たちもわかっていたはずです。

それでも北海道警察は、私が手に入れる拳銃に群がりました。定められた拳銃押収のノルマを満たすために、さまざまな道警幹部から、「あと一丁出してくれ」「ウチにも一丁くれ」と声をかけられました。上司たちは、まともな捜査の上で拳銃を押収することを期待していたわけではありません。台所にいるコバエのように、どこからともなく拳銃が涌いて出てくれば、それでよかったのです。

所有者のわからないそれは「クビなし拳銃」と呼ばれます。実態は、私が自分で拳銃を用意する自作自演や捏造による押収でした。あるときは北見駅の、あるときは札幌の地下鉄大通駅のコインロッカーから拳銃が押収されました。それらは私が情報提供者から入手して、コインロッカーに入れたものでした。こうした行為は、私自身が独自の判断で行ったことではありません。すべて上司からの命令によって、そうしたのです。

また改正された銃刀法の「自首減免規定」を利用して、何丁も拳銃を押収しました。拳銃を持って自首すると罪に問われない、あるいは罪を減軽してもらえるという制度を使い、エスたちを自首させることで北海道警察は拳銃の押収数を水増ししていたのです。

組織ぐるみで行われる銃器捜査のでっち上げは、当初、罪悪感が伴いました。罪の意識に苛まれながらも、私は組織に命じられるままに拳銃を出し続けました。それが私の仕事だと信じてもいました。

しかし、あらゆる形で実績を求める上司たちの要求は、徐々にエスカレートしていきます。犯人をでっち上げる違法捜査が平然と展開され、挙げ句の果てには、大量の薬物を日本に流入させるという大失態まで起こしたのです。