ここからコンテンツ情報

(左から)令嬢美人コンクール全国1等 末弘ヒロ子(16歳)小倉市/日本美人帖 明治41年、令嬢美人コンクール全国2等 金田ケン子(19歳)仙台市/日本美人帖 明治41年、令嬢美人コンクール全国3等 土屋ノブ子(19歳)宇都宮市/日本美人帖 明治41年、土屋ノブ子 化粧品広告/掲載書籍不明

【3.日本最初の 美人コンテスト開催される】

明治24年(1891)に、凌雲閣(りょううんかく・浅草十二階といわれた展望塔)で、日本初の美人コンテストが開かれました。当時、この塔は最先端の高層ビルで、日本初のエレベーターが設置されましたが、故障がちで使用中止を命じられ集客の危機に直面します。そこで何とかお客様を集めたいと考えた妙案が「百美人コンテスト」でした。東京の芸妓100人もの写真を4階から7階まで展示、美人写真でエレベーターが無くても上層階に上ってもらおうという誘客作戦、見学者の投票によって順位を決める美人コンテストでした。1位、2位ともに十代の若い芸妓が選ばれ、高まった知名度と人気は、写真絵はがきとなって全国に広まっていきました。

では、「一般女性を対象にした美人コンテストは?」というと、明治40年に時事新報社が実施した公募写真による美人コンテストです。アメリカの新聞社から、世界美人選びに参加しないかと日本の新聞社に依頼があったのです。全国から7000人以上もの応募が寄せられ、その中から晴れて1等に選ばれたのが、小倉市長の令嬢で、女子学習院在学中、16歳の末弘ヒロ子でした。二重まぶたでぱっちりとした目、丸くぽっちゃりとした頬、健康的な美しさを持つ深窓の令嬢が、一夜にして世間の注目を浴びる存在になったのです。
ところが、学校側はこのミスコン参加を不祥事とし、ヒロ子は学習院を退学になってしまいます。でもその後ヒロ子は、この出来事がきっかけとなって公爵家に嫁ぐという良縁に恵まれ、めでたくハッピーエンドに。三等に選ばれた土屋ノブ子は化粧品の広告モデルに起用されています。この令嬢の商品宣伝への登場は、その後一般女性が社会へ飛び出す契機となるという意味をもった出来事でした。

今回紹介した画像は全て、今からおよそ150年前の美人写真です。浮世絵に見られる江戸時代の伝統的美人から明治時代の近代的美人へと美人像は一新しました。西欧化という時代の流れの中で、服装や髪型が変わり、美意識が変わったことに加え、「写真」というメディアの登場が大きく影響して新しい美人像が生まれていったのです。現在に至っても、私たちの美人観が明治の美人観と重なり共鳴できるは、この時代の美意識が現在に受け継がれているからだと思いませんか。

次回はいよいよ大正時代の化粧文化についてお伝えします。4月14日更新、お楽しみに!