井川意高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いかわ もとたか
井川 意高
出身校東京大学
職業実業家
配偶者あり
子供あり(娘)

大学を卒業した翌月である1988年(昭和63年)4月、大王製紙に入社。 三島工場次長、常務取締役、専務取締役などを経て、1998年平成10年)6月に代表取締役副社長となった。2006年(平成18年)4月からは、子会社であった名古屋パルプの社長を約1年間務める。オーナー企業の創業家出身に加え、取引先との関係改善やブランド戦略などによって、大王製紙の家庭紙事業を黒字転換させたその経営手腕が評価され2007年(平成19年)4月、42歳で大王製紙の第6代社長に就任した。2011年(平成23年)6月に、2011年3月期の大王製紙の連結決算で182億3400万円という巨額の赤字を記録した責任を取る形で社長を辞任して会長に退く。

カジノマリーナ・ベイ・サンズ、ギャラクシーマカオ、ウィン・マカオ)での賭けで巨額の借金を被り、借金返済と更なる掛け金のために、大王製紙の子会社7社から2010年(平成22年)度に約23億5,000万円、翌2011年4月からの半年間に約60億円を個人的に借り入れた。これら融資の多くは、子会社各社での取締役会の決議や貸借契約書の作成などが行われないまま実施されるなど杜撰なものであったが、融資先である井川による使途も不明なまま、約50億円が未返済となっていた。無担保での借り入れは、借入先が8社以上の連結子会社で、2010年(平成22年)4月から翌年9月までの総額で105億円に上るともされた。

2016年(平成28年)12月14日、喜連川社会復帰促進センターから仮釈放。

以上の不祥事が大きく報道されている時期に、小学校時代の夏休みや冬休みに東京の学習塾で中学受験の集中講座を受けていたのを「飛行機で東京の学習塾に通っていた」、大学生のとき父親の帝王学の一環で銀座のクラブで財界の大物経営者たちとの交流していた事実を「父親のカネで銀座のクラブで豪遊」など、世間の反感を招くような記事をマスコミに書かれた。

  1. ^ a b c 20年以上財布代わりに 大王製紙前会長 系列企業を私物化 『日本経済新聞』 平成23年11月22日夕刊
  2. ^ a b c 井川意高 『企業家人物辞典』 企業化人物辞典作成委員会、平成23年10月18日閲覧
  3. 大王製紙前会長を告訴へ きょうにも、特別背任容疑 『日本経済新聞』 平成23年10月28日社会面
  4. 『週刊文春』(文藝春秋、2011年11月10日号)32頁
  5. 「井川意高 -エリエールより軽い1万円札」 『週刊文春』(文藝春秋、2011年9月19日号)
  6. 井川意高 『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』(双葉社)