そして覚せい剤に手を染める…

平成9年(1997年)11月14日、道警銃器対策課は「おとり捜査」と称して、拳銃一丁を所持していたロシア人船員を現行犯逮捕しました。しかし、これはこちらから拳銃の購入を持ちかけた犯意誘発型の違法捜査で、法を無視した逮捕劇だったのです。

さらに裁判でこの捜査の違法性を弁護士に指摘されると、銃器対策課はそれを隠蔽するために、私をはじめとした現場の捜査員やエスに法廷で虚偽の証言をさせたのでした。

また平成12年4月、道警銃器対策課と函館税関は「泳がせ捜査」の名の下に、莫大な量の薬物密輸に目をつぶりました。拳銃200丁を摘発させてもらうという約束をエスと交わし、その見返りに130キログラムの覚醒剤と2トンの大麻の密輸を手引きしたのです。

覚醒剤は当時一グラム3万円程度で小売りされていたので、末端価格にして約40億円になります。しかもこの捜査は途中で頓挫し、道警銃器対策課と函館税関は大量の薬物の流入を見過ごしただけでなく、結局、200丁の拳銃が押収されることもありませんでした。

こうした捜査は銃器対策課の課長、そして次席や指導官たちの指揮のもとに展開された、たんなる密輸という犯罪行為でした。私自身もこうした捜査を現場で行うなかで、警察官の本分を見失い、平衡感覚を失っていきました。

拳銃の情報を得るためには、エスたちとどっぷり交わらなくてはなりません。それにはカネが必要でした。飯を食わせなければなりませんし、また食い詰めたエスに生活費を与えることもありました。そういった関係を構築し、維持するために必要な経費を、警察組織が支払うことはほとんどありません。

初めのうちは自分で用立てていましたが、いつしか、覚醒剤の密売によって得たカネを経費に充てるようになりました。自ら覚醒剤を仕入れ、それをエスたちに密売させていたのです。

そんな警察人生にも、やがて破局が訪れます。平成13年、私は八年間務めた銃器捜査から外されました。私が使っていたエスの引き起こしたトラブルによって、仕事から完全に干されてしまったのです。道警内でもてはやされた過去の実績は帳消しになり、閑職に追いやられた私は自暴自棄になっていきました。そして、覚醒剤に手を出してしまった。