昨今、全国の警察官の不祥事が毎日のように新聞を賑わせております。
 悲しいことではありますが そういった不祥事を起こす警察官もいることは事実です。
 でも、大多数の警察官は、自分の職業に誇りをもって頑張っているのも判ってください。

 不祥事を起した者は、厳しく処分すべきです。
 今の時代、不祥事を闇に隠すと言うことは絶対に出来ません。恥ずかしいのですが 内部からの告発も数多あって(正義を求める告発と信じていますが)不祥事は鍵のかかる入れ物に入れても隠すことは出来ないのです。

 この不祥事を無くならせるための方策は、いつの時代も、時の上司たちが考えて来ました。その策の一つとして、論文を書かせてみると言うこともありました。
 
 私が、警部補試験に合格し、その教養のために近畿管区警察学校に入校、近畿各府県から来た警部補試験合格者数十人と共に数か月間学校に寝泊まりして 警部補任用科教養を受けたのです。入校は昭和59年秋のことでした。

 この入校時に、まず学校から、【警察官の職業倫理】 についての課題を示されて 原稿用紙10枚以上を論文の作成を命じられました。

 課題論文を書かないといけないことは入校前から判っていましたが、課題が何かは不明だったので何も考えずにいました。(予め論文骨子を作ってきている人も多数いましたが)

 この頃にも警察官のいろんな不祥事があったのです。
 それが職業倫理という課題になったと思いました。
 提出は入校後10日間だったと思います。この10日間は必死で考えて作成しました。
その時に書いた 私の論文が 以下のものです。

 この書き上げた論文は、同期生の中から5編が選ばれ、講堂で5編の作成者が同期生や先生たちの前で壇上に上がって発表したのです。

 最終的に この私の論文は 最優秀作品として評価され 近畿管区局長賞を貰い メダルも頂きました。私なりの論文戦争(同期生との戦いです)の作戦はこうです。

私は構想を決めると 作品の評価は誰に決定権があるのかを調べました。

 調査の結果、学校に長くいる 歴史学のY教授と判りました。Y教授は、巡査部長任用科、現任補習科などで何回も入校している私にとっては、親しくしていた教授であり、教授の家まで同期生と遊びに行ったこともあるくらいでした。
 教授は常に図書館に自部屋を持っていたので、入校した挨拶も如才なくしました。

この教授なら、考えていることも理解しているし、遊び心も文章の中に入ってないと駄目だし、などと考え、作戦を練りながら作ったのが奏功したと思っています。

 それにしても 私が1番ということは、非常にレベルの低い戦いだったように思います。
 本来、この課題論文で局長賞を授与された者は、余程のことがない限り、入校生が卒業式で貰う 成績優秀の表彰を授与されるのですが、私は、余程のことがあったのでしょう、何も貰えませんでした。そんな私のレベルで貰えたんですから摩訶不思議です。

それでは、その私の論文を 掲載しますので 見てやってください。丁度、43歳の頃のまだ青い匂いの残る文章で綴られていますので、笑読お願いします。


        警察官の職業倫理     
              
戦後の日本史の中で、現代ほど国民から倫理の確立を叫ばれた時期はなかったのではないでしょうか。

自分の所持金はなくても、一枚のカードで物は手に入りますし、又、間違った個人主義、利己主義が風潮として社会を覆って、心の豊かさを求める文化が物質文化に完全に立ち遅れているのが、現在の社会情勢だと思います。
 現代がローマ帝国の末期の症状と酷似するとの話に、心の乱れた社会の行末に恐れを覚えている昨今です。

 だからこそ私は、日頃 「頑張れ、人間達」 という言葉を胸の中で叫んでいます。

 ところで、社会で生活するには、一定のルールがあり、人間としてそれを自覚し、体得して理性で守っていくところに倫理の確立があるといえるでしょう。

一般人は、このルールを例え破ったとしても、個人の責任として罰せられ、社会淘汰されることで終わりますが、私達警察官のルール違反は、個人の責任を追及する事だけでは済ますことが出来ないのです。

それは、私達は、一般社会人であると共に、公務員であり、更に警察官であるという、三重の倫理観を持つべき性格の職業人だからなのです。

 私達は、国民全体の奉仕者としての崇高な職業を選び、更に法の執行者として、より高度な倫理観を要求される警察官を選んだことを忘れてはならないのです。

今、私達一人ひとりは、自分の置かれている位置を認識し、自分に与えられた職務を、精一杯全うすることが、警察官としての倫理観を確立し、更に、国民の信頼を回復する事になると確信します。

 さて、倫理という言葉を字典でみますと
  「倫」とは「道、秩序」とあり、「理」とは、「玉を里く」こと「おさめる」こと
とあります。
 つまり、倫理とは「人の道、行為の法則であり、善悪の標準に関する理論の実践」といえます。
 これによって警察官の職業倫理を位置づけてみますと、
  警察官は、法の執行者として悪と戦い、正義の守護に邁進する者
となるでしょう。

従って私達は、自らを磨き、強い誇りと高い倫理観を堅持し、人間愛に貫かれた確固たる使命感で国民に報いなければならないと思います。

 さて、近年部下に仕事をやらせてみても、言われたことはそつなくやりますが、自ら考えた仕事が出来ない者が増えているように感じます。
 それは個人の育った家庭、教育等の問題もありましょう。
 それでも制服を着れば警察官であり、そんな彼らは私の部下でもあるのです。
 これら現代の風潮の影響を強く受けている警察官に対しては、しっかりとした方向づけをしてやる必要があります。

私は次の四つの「知る」「知らしめる」を実践することで警察官としての倫理観、やる気と言うものが育まれるものと確信しております。

 一つ目は職責を知ることです。
 
 私達は、警察法第二条の責務があるのは、頭の中で理解しておりますが、これをもっと深く考えてみるならば、次のようになると思います。

 私達は、治安の防波堤であります。この防波堤が崩れれば 国民の平穏な社会生活が混乱し、社会的な不公平、不安、不公正が満ちあふれます。そうです、私達は、この不公平、不安、不公正を排除するという素晴らしい使命を与えられているのです。
 
 それに加えて、この崇高な仕事をする自分というものを支えているのは、いったい何であるかを考え、更に自分は何を心の支えにして「やる気」があるのかをも考えてみて、自分で見つけた その「何か」に基づいて自分は仕事をしているのだという信念をもつこと。 これが職責を自覚するということではないでしょうか。
 こうして警察官としての、自分の存在感、価値感を知ることによって何かに目覚めること、気づくことがあるに違いないと思います。 

二つ目は、仕事の内容を知るということです。

警察官の仕事は、自分の作った被害届一本が、後には人格をもって一人で歩き出し、その結果、犯人を刑務所に送るという、重要な仕事であると知ることです。

 つまり、自分のした仕事は、全体の流れの中で、どの位置にあり、どれだけ大切であるかを知ることが、積極的な参加意識を高め、仕事の尊厳さを理解することに繋がるのです。
 私が部下にうるさく言うのは、常に
この書類で、人間一人を刑務所に送るのだぞ、それを心して書け
ということです。

 三つ目は、学ぶ心を知ることです。

 警察官は、服務宣誓の中で 
   何ものにもとらわれず、何ものもおそれず、何ものも憎まず、公平な職務執行をしなけれ   ばならない。
と宣言します。

 これこそ、警察倫理の要約であり、これを持ち続けていくためには、自らを豊かにする勉強をしなくてはならないと思うのです。

 人を叱るのも、慰めるのも口先だけでは、心は伝わりません。まして、物事の善悪の判断は、非常に難しい問題であります。物事を善と判断し、実行していくためには、幅広く学ぶ心構えが必要と思います。
 そこで私は、良書を読み、耳を心にして話を聞く ようにしております。そして書物や話の中で、言いたい部分、訴えたい心を感じ取り、それをノートに書き出し、折りにふれて読み直しては、自分のエキスとして生かすよう心掛けております。

 私ごとではありますが、私自身の被疑者取調べ方法は、試行錯誤の末、現在は、  
  私の心で、相手の心を開かせる取調べ
ということを永久命題と決め、その為に目下、もっと学んで自分を磨きたいと努力している最中なのです。

四つ目は、愛する心を知ることです。

 人は愛する心がなければ 人間とはいえません。野に咲く名もない草花も、温室育ちの洋花も、精一杯に美しいのです。
 総てが必死で生きている尊い美しさ、その美しさを感じる心を持ちたい。
 感じる心が愛だと思います。

 私達の仕事は、外見的な美しさはありません。
 ゴミ箱から証拠品等を見つけて喜ぶ仕事なのです。
 まして仕事柄、人のみにくさ、不条理、憎しみ等を相手にします。
 ですから、自分の心が汚染され、汚れた心が普通の心と錯覚してしまって、悪が悪でなくなってしまう場合があるのです。そこに不祥事の根が生えるのだと思います。
 ですから、常に私は愛でる心、感じる心を失いたくないのです。

 次に「私を支えるもの」について話します。

私は、警察官はターザンだと思っているのです。誰にも負けぬ体力と気力。自然一杯のジャングルを荒らす悪人には絶対退かぬ正義感。ジェーンやボーイを始め、動物達に対する愛。服という俗化のシンボルを身につけない純真さ。

 子供のころ、ターザンが大好きだった私は、知らぬ内に私の中にターザンを住まわせ、それが警察官への道を勧めたのだと思うのです。
 それからの私は、強さだけのターザンの時代があり、続いて、服を着たターザン時代、ひっくり返ったターザン時代を経て、今、愛を知りつつあるターザン時代に入ってきていると思います。

 そんな色んな時代がありましたが一貫して変わってないのが
正義を守る気持
の一点です。

 そしてこれからも退職するまで、否、死ぬまで、私はターザンでありたい。

 私の倫理の原点はこれなのです。

 そしてみんなに知って貰いたいのです。
 
     山は山であるが故に山であり
     警察官は警察官であるが故に警察官なのだ
……ということを。

 最後に、日本警察の祖といわれる川路大警視は、

   警察官は人民にとっては、勇敢で、力強い保護人である。
   従ってわずかなことに心を動揺させることなく、軽々しく人を非難せず、
   忍耐強く、誠実であり、品行を慎んで、そして絶大な信頼を得る必要がある。

と訓示しています。この言葉は警察官としての修養の基本です。
 このように、私達警察官は、これまでに立派な先輩から、偉大な警察組織を引継いで、今日まで来ていることを知らねばなりません。

 今ここで、私達の時代に警察官としての倫理観、使命感を失うことは、連綿として引継いできた

  警察の灯を消してしまう

ことになるのです。

 これを私達は心に深く刻みつけて、警察の灯を消さぬように心掛け、後に続く者に、引き渡して行く役目を立派に果たすことを誓って終わりとします。

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