岡山大学北津寮襲撃事件

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1975年4月16日以降、岡山県岡山市にある岡山大学に「マルクス主義青年同盟(マル青同)」を名乗る新左翼党派がオルグ活動を行ってきた。当時、マル青同は中国地方に有力な拠点校がなく、岡山大学を拠点にしようと目論み、乗り込んできたのである。

事件が起きるまでの間、何回かアジ演説やビラ配りをしていたが、岡山大学の男子学生寮である北津寮の寮生が反対していたため、次第に対立を深めるようになった。事件2日前の5月23日には、マル青同の構成員が寮生を負傷させる事件を起こし、一触即発の事態となっていた。

5月25日午後4時30分頃、マル青同のマイクロバス2台が北津寮に乗り込み、「革命をどう思うか」と寮生を恫喝した。30分後にマル青同は一旦引き上げたが、寮生はこれに抗議する集会を寮内で開いた。午後8時10分頃、穂積亮次の「殺せ!轢き殺せ!」という合図と共にマル青同のマイクロバスはバスごと集会に突っ込み、寮生一人を轢き殺し、その他大勢を負傷させた。

穂積亮次とマル青同は証拠隠滅のため、轢き殺した寮生を収容し、近くの山林に埋めた。その後29日に遺体が発見された。頭や顔が原形をとどめないほど損傷していたという。

この事件はマル青同が起こした最大の事件であった。後年、マル青同が日本共産党に共闘を申し込んだとき、共産党側は本事件の自己批判が為されていないことを理由に申し出を拒絶している。 なお穂積亮次は愛知県鳳来町長選、新城市市長選において、殺害経歴を公表せず選挙活動を行って当選を果たしている。

また、「がんばろう、日本!」国民協議会に名を改めた今も、保守系政治団体を標榜していながら自由民主党との接点がほとんどない大きな要因となっている。

  • 『山陽新聞』1975年5月26日朝刊・夕刊、5月27日朝刊、5月29日夕刊、5月30日朝刊
  • 岡山県教育委員会『岡山県教育史 昭和31年~50年』岡山県教育広報協会、1991年