高校野球の歴史は、一方で不祥事の歴史でもある。他の高校スポーツと比べて注目度が高い分、不祥事も大きく報道され大騒ぎになる。

 先週、野球部以外の生徒の不祥事にも関わらず“一蓮托生”で甲子園大会の出場辞退を余儀なくされた北海(北海道)の「涙のUターン事件」を紹介した。以後、野球部以外の不祥事の責任を負わされることは少なくなったが、甲子園大会期間中に、それも出場校の選手が起こした不祥事となれば救いようがない。

 春夏の甲子園大会を通じ、初めて大会期間中の出場校の不祥事が起こったのは、1986(昭和61)年夏。当事者は享栄(愛知)だった。

 かつて享栄商時代に中京商(現中京大中京)、東邦商(現東邦)、愛知商(現瑞陵)とともに「愛知四商」を形成した古豪。プロ野球の400勝投手・金田正一を輩出したことでも知られる。

 83(同58)年春に強打者・藤王康晴(元中日、日本ハム)を擁して甲子園に復活、翌84(同59)年夏も出場。問題の86年は左腕・近藤真一(現真市、中日コーチ)を擁し春夏に出場。優勝候補の一角に挙げられていた。

 事件が発覚したのは夏の1回戦、唐津西(佐賀)戦で近藤が1安打15奪三振で完封した後。ベンチ入りメンバー2人を含む部員5人が宿舎周辺で喫煙している現場を、写真週刊誌に撮られた。

 大会本部は緊急会議を開き、享栄の監督ら学校関係者は記者会見。即座に当該選手の出場登録抹消や野球部長の辞任などの処分を行っていたことで、監督と残りの13選手は大会出場を許されたが、前代未聞の大会期間中の不祥事発覚に甲子園は大騒ぎとなった。

 当時は写真週刊誌の全盛時代。芸能人だけではなく高校球児もターゲットにされていた。享栄は近藤の存在もあって大会一番の注目校だった。13人になったチームは2回戦の東海大甲府(山梨)戦を2-1で乗り切ったが、不祥事の心理的な影響は隠せず3回戦で高知商に敗れて甲子園を去った。

 この事件以降、日本高野連は不祥事撲滅とマスコミ対策、宿舎での選手管理に神経をとがらせることになる。 (敬称略)