Ⅱ.性加害事件-何があったのか

 
 今回の調査では、Mさんのご厚意により裁判資料を読む機会が与えられ、より詳しい実態を知ることができた。まだ十分に把握できているとは言えないが、少なくともこの事件が「妻以外の女性との性関係」(『りばいばる』1999年11月号の公示文書)から想像されるような、不倫、不貞といった類のものではなく、K元牧師による一方的な性暴力であって、虐待ともいうべき卑劣な加害行為であったことがわかる。
 まず、これまでに私たちが知り得た事件の概要を記し、その評価を後述する。
 

1.事件の事実

 

 「星の子どもたち」は超教派の活動であったことから、K元牧師は当時無牧であった他教団の北九州の教会へ礼拝説教などで度々赴いていた。Mさん夫妻はその教会の教会員であり、夫は癌の闘病中で、K元牧師は一家の支えとなり、繰り返しMさん宅を訪問していた。夫が召された際、K元牧師は葬儀を司式するなど、家族に寄り添う存在であった。
 K元牧師は、父親の死後、失意と自責、当惑の中にあったHさんに対し、その心理を巧みに利用して、自分の働きに加わるように勧め、それが父の遺志だと思わせて誘い、自身の管理下においた。当時、Hさんは専門学校を卒業し就職が決まっていたが、K元牧師の強い誘いがあり、1996年4月「星の子どもたち」の本部スタッフとして平塚の事務所で働くことになった。Hさんが、その状況からも、将来に対する十分な判断ができたとは思えない。
 本部に行ってまもなく、Hさんは自宅へ戻ることになったが、K元牧師はHさんを自分付きのスタッフとして地元で働かせることに決め、「星の子どもたち」の働きのためという理由で、毎日のように電話をかけて来るようになった。また、自身の伝道やラリーキャンプなどにHさんを同行するようになった。
 K元牧師がHさんへの性加害に至ったのは、そのような活動の中であった。1997年、K元牧師はラリーや他の活動の間にHさんを呼び出し、やがて性関係を強要するようになった。頻繁な電話、その内容もHさんを悩ませるものであって、Hさんは重度の摂食障害に苦しむようになった。混乱するHさんに対しK元牧師は、これらはK元牧師の活動を支えるために必要なことで、自分に無条件で服従するようにと指示している。その後K元牧師は、Hさんを家族や友人からも引き離すかのように遠い場所に勤めさせるなど、逃げ出せない状況を作った。たとえばHさんの異変を心配したMさんが、K元牧師に相談すると、K元牧師はHさんを地元から離し、沖縄の病院に勤務させ、関係を続けさせた。
 Hさんの混乱は想像を絶するものである。関係を拒絶し、距離を置こうとするHさんに対し、K元牧師は言葉巧みに、また信仰を逆手に取るように、神への奉仕と自分への服従を混同させ、さらには罪意識すら利用して脅迫し、加害を続けた。その執拗さ、行為の異常さは、後にHさんから聞き取りをした臨床心理士が書き記すのをためらったほどであった。加害は、Mさんからの訴えがあるまで約2年にわたった。裁判資料にはその苦しい症状も記録されている。性暴力が人間に与える破壊力がこれほどのものかと驚く。まさに人格を壊す、徹底的な存在否定の行為であった。
 やがてHさんは、K元牧師による性加害がHさん以外にも及んでいると知ったことをきっかけに、Mさんにそれまでのことを話した。MさんはHさんを実家へ呼び戻したが、Hさんは睡眠障害、摂食障害、幻覚、幻聴など重度の精神障害に苦しんでいた。被害に遭った経緯が医療にかかわる働きであったため、Hさんには病院、医師に対する恐怖が強く、治療は困難を極め、症状は改善されないままであった。
 1999年4月、MさんはK元牧師とその妻、教団に対しこの事実を知らせ、早急に適切な対応をするよう求めた。教団は責任を認め、合意書を取り交わしたが、K元牧師については裁判となり、Hさんが勝訴。K元牧師に賠償金の支払いが命じられた。しかしMさん母娘に対し、K元牧師から真摯な謝罪がなされることはなかった。Hさんは被害を訴えた後も、K元牧師の心理的な支配に苦しみ、せめて心からの謝罪をとの期待も裏切られ、K元牧師の責任を認めた判決の確定から1年後の2002年、自死された。
 Mさんは二度とふたたびこのような被害が起こらないようにと事件を公表された。『M(実際の表記は実名)の発信 性暴力被害者の家族として』に詳しく記されている。以後、Mさんの元には他の被害の情報が多くよせられる一方で、HさんやMさんの責任を問うような電話、手紙も多くあり、Mさん自身を長く苦しめることになった。
 このように、性加害の残忍さはもとより、加害者が牧師であったことの重大さが問われる。被害者は牧師に対し大きな信頼と尊敬を抱き、その教えに従うことが神に仕えることだと信じていた。「牧師が自分にこのような行為をするという事実が理解できない。牧師が間違うはずはない」。このような認識は、被害を知った周囲の人にも同様におこる。この混乱を回避するために、周囲は被害を過小評価する、あるいは被害者を責めるという行動に出る傾向がある。それは被害者をさらに苦しめ、事件への適切な対応を阻んできた。
 

2.教団の対応

 

 1999年4月、Mさんから、被害の情報と、教団としての対処・加害当事者の悔い改めを求めるファクスが、当時教団の総務局長であった牧師の任地教会に届いた。総務局長は教団委員長に報告。K元牧師を活動先から呼び戻し、この事実を確認。K元牧師には、Mさんに直接連絡をしないように、また活動を停止するようになど指示したが、その後もMさんから、K元牧師が「星の子どもたち」の活動をしている、献金を集めているなどの連絡が教団にあった。
 総務局長はK元牧師夫妻と共にMさんを訪問。K元牧師は周囲の促しで謝罪の言葉は口にするが、経緯の弁明に終始した。教団委員会はK元牧師夫妻と面談し、K元牧師の解任、正教師辞令の返還、一か月以内に住居(教会)を明け渡すように伝え、『りばいばる』1999年6月号に「K元牧師(実際の表記は実名と教会名)は日本ホーリネス教団の牧師職を解任されました」と公示した。
 これに対しMさんから、教団の認識の甘さが指摘され、Hさんの弁護士から教団に謝罪と慰謝料を求める文書が送られてきた。その後、事件内容が、それまでK元牧師から聞いていたことよりも深刻であること、さらにK元牧師が、教会員に安易な謝罪を行ったこと、Hさんへの対応、「星の子どもたち」の対応について教団の指導に従わず、心からの謝罪がなされていないことなどを理由に、教団委員会はK元牧師の処分を解任から除名に改め、『りばいばる』1999年11月号に「K元牧師(実名)を当教団から除名する。理由:妻以外の女性とのある期間にわたる性関係を有したこと。更にその後の対応において同女性を深く傷付けた事」と公示した。また、「K元牧師に関する『公示』に至る経過とお願い」を教団委員長と教団委員一同の名で教団内牧師宛に送付した。
 教団はK元牧師に対する監督責任を認め、12月、教団委員長、総務局長、教団の弁護士がHさんの弁護士事務所でMさん、弁護士、カウンセラーと面談。謝罪の言葉を述べ、合意書を交わし、和解金を支払った。その際、MさんからはHさん以外の被害者について調査し、対応してほしいとの要望があった。
 教団は、K元牧師に平塚教会からの立ち退きを命じ、教会の再建を図るが、教会の混乱は大きく、負債処理も困難となり、2002年3月、教会は閉鎖となった。
 

3.検証までの経緯

 

 2003年、教団はMさんからの連絡で、Hさんが自死されたことを知った。以後、Mさんから教団委員長、総務局長宛の手紙により、事実の検証と再発防止の取り組みをするようにとの働きかけがなされてきた。
 教団としての取り組みが始まったのは、さらに2年後で、2005年7月、教団委員会は「人権対策準備室」(後に「人権対策室」)の設置を決議し、同年11月、人権対策準備室メンバーがMさん宅を訪問した。
 Mさんとの面談を契機として、K元牧師性加害事件はまだ終わっていないことを改めて認識した同対策準備室は、再発防止へ向けて啓発資料『人権問題としてのセクシュアル・ハラスメント』作成にとりかかる。2007年12月に発行し、教団内諸教会に配布。そのことが、キリスト教関係の新聞に掲載されたことなどから、他教団、教会からの問い合わせが続き、内容を、教団ホームページに掲載。これと並行して、2007年3月、第44回教団総会で「セクシュアル・ハラスメント防止・相談室」の設置を決議し、同防止・相談室は相談員の養成・訓練を経て、2008年1月、電話による相談を開始した。それに伴い、教団は「同じ過ちを繰り返さない」との決意を教団全体で共有するため、その趣旨を2008年3月の第45回教団総会において報告し、同年4月、広くキリスト教界内外に向かって、「神の聖さに与るものとして歩むことを目指し、過ちを繰り返さないという決意」を表すと共に、教団ホームページ等にK元牧師が引き起こした性的加害の事実について概要を公表した。
 このような経緯の中で、教団が公式に表明した再発防止への決意に基づき、人権対策室は2008年度中に事件の検証へ向けての予備調査に着手し、2009年度活動計画として「K元牧師性加害事件の検証への取り組み」を決定。神と人の前に立てられた教会としての責任を果たすべく、検証に取り組むことを表明した。2010年3月の第47回教団総会にて、検証の途中経過を報告した。