天皇を攻撃する輩は100%工作員です。 

ってことですが・・・。

リテラの記事にこんなのが。 

 東京五輪招致の裏金問題で“厚顔”答弁…JOC竹田恆和会長に自動車事故で女性を轢き殺した過去が! 

<引用ここから>
 竹田恆和氏といえば、あのネトウヨタレント・竹田恒泰氏の父親ではあるが、旧皇族・竹田宮家の生まれで、明治天皇のひ孫、今上天皇とははとこにあたる。01年からJOCの会長を務め続けており、人望も厚いといわれていた。それが、まさかこんな不誠実な姿勢を示すとは……。
 しかし、この人の不誠実や厚顔はもともとのものなのかもしれない。その一端がかいま見えるのが、竹田氏が起こした不祥事とその対応だ。

実は、竹田氏は40年ちょっと前、若い女性を轢き殺す交通事故を起こしたことがあるのだ。

 当時、竹田氏は馬術の選手で、国体の試合に出るため会場に車で向かう途中のことだった。この事故について、1974年10月23日付の読売新聞夕刊が〈五輪馬術代表の竹田選手 女性はね死なす〉という見出しで記事にしているので、全文を紹介しよう。

〈茨城国体に出場する東京都の馬術選手の乗用車が、二十二日夕、会場近くの茨城県稲敷郡新利根村で歩行者をはね、死亡させた。このため、東京都は、二十三日以降の全馬術競技の出場を辞退した。
 二十二日午後五時ごろ、新利根村角崎の県道を歩いていた同村××××、会社員××××さん(二二)は、茨城国体馬術競技東京都代表、竹田恆和選手(二六)(東京都港区高輪三の一三の一)の乗用車にはねられ、頭を強く打って近くの病院に収容されたが、二十三日午前零時過ぎ死んだ。江戸崎署の調べでは竹田選手が対向車のライトに目がくらんだのが事故の原因。
 竹田選手はIOC(国際オリンピック委員会)委員の竹田恒徳氏の三男で、馬術のミュンヘン・オリンピック日本代表。茨城国体には、二十三日午後の一般飛越競技に東京都の代表選手として出場するため、会場の同郡美浦村の馬術会場近くの合宿所に行く途中だった。
 竹田選手の事故責任をとり、東京都チームは二十三日朝、この日以降の全馬術競技の出場を辞退することを決定、大会本部に連絡した。〉

 40年以上前の話とはいえ、こんな重大事故を引き起こした人物が、今、日本の五輪組織のトップに君臨しているというのも驚きだが、問題だと思うのはこの事故の後の竹田氏の身の処し方だった。

 新聞報道によれば、明らかに竹田氏側の過失だと思われるが、竹田氏は重い刑事責任を問われることもなく、ほどなく馬術競技に復帰。事故から2年も経っていない1976年に開かれたモントリオールオリンピックに出場しているのである。

 通常の会社勤務なら、死亡事故を起こすと解雇になるケースも多いし、スポーツ選手では、最近、バトミントン五輪代表選手が違法カジノに出入りしていただけで、無期限の競技会出場停止になり、リオ五輪の出場権を剥奪された。それらと較べれば、雲泥の差だろう。

「被害者と示談が成立したというのもあるでしょうが、竹田氏の場合はやはり宮家の威光というのが大きかったようです。周辺の政界人脈が動いて、事故の影響を小さくし、すぐに復帰できるようにお膳立てしたようです。復帰した時もほとんどマスコミには叩かれなかったようですね」(スポーツ関係者)

<引用ここまで> 

 竹田恒徳 
<引用ここから>
陸軍騎兵少尉騎兵第1連隊附)当時の竹田宮恒徳王。軍帽(チェッコ式)の襠前部や襟は高く、襟章・肩章・雨蓋の造形美には凝り、細見でスマートな仕立て

明治天皇の初の外孫として誕生する。両親の愛情を一身に受け、また従弟で隣に住む北白川宮永久王とは兄弟のように育つ。永久王は早世したため、恒徳王は後年まで、「永久王が生きていたら…」と語っていたと言う。

1940年(昭和15年)、皇紀二千六百年を祝う大観艦式には、昭和天皇に供奉してお召し艦「比叡」に乗艦した。行事終了後、横浜で下艦した際、長男誕生の報告を受けている。

1947年(昭和22年)10月14日、皇籍離脱を行う。以前から皇族が多いことに問題を感じていたため、あまり抵抗は無かったと言う。さらに「“竹田”と言う名は他の宮家と違い、ポピュラーで気に入っている」とも語った。皇籍離脱に伴い一時金が与えられ、この金を目当てに近寄るものが後を絶たなかったが、全てを丁重に断った。1950年(昭和25年)に日本スケート連盟の会長就任を要請されたのをきっかけに、スポーツ界での活動を開始する。もともとスポーツ、特に馬術を好み騎兵将校であったことからオリンピック出場を目指していた程であった。また、1936年(昭和11年)の第11回ベルリンオリンピックで団体6位入賞の結果をもたらした「ファーレーズ号」の馬主でもあった。

  • 恒正王(1940年 - ) - 竹田家現当主
  • 素子女王(1942年 - )
  • 紀子女王(1943年 - )
  • 恒和(1947年 - )


  • 1957年(昭和32年) - 社団法人日本動物福祉協会名誉会長
  • 1962年(昭和37年)10月15日 - 日本オリンピック委員長
  • 1967年(昭和42年)5月8日 - 国際オリンピック委員会委員就任
  • 1982年(昭和57年)9月 - 特攻隊慰霊顕彰会会長(後の財団法人特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会)
  • 1989年(平成元年)12月31日 - 偕行社会長を退任する
  • 1990年(平成2年) - 日本ビリヤード協会会長を退任し坪内嘉雄に交代する。総裁には寛仁親王が就任。

 

<引用ここまで> 

 国際ロータリー 
<引用ここから>
国際ロータリー(Rotary International、以下"RI")は、世界各地のロータリークラブを会員とする連合組織である。
<引用ここまで> 

フリーメイソン  
<引用ここから>

社会奉仕団体とフリーメイソンリーの関係

ロータリークラブ創設者P・P・ハリス。フリーメイソンである。
ライオンズクラブ創設者メルビン・ジョーンズの彫像。メルビン・ジョーンズはフリーメイソンである。

日本グランドロッジのグランドセクレタリーであり2002年にグランドマスターを務めたフィリップ・A・アンブローズによるとボーイスカウトロータリークラブライオンズクラブなどはフリーメイソンリーからの派生であるという。高須克弥が名誉会員に名を連ねる「と学会」の運営委員でフリーメイソンに関する書籍を著している皆神龍太郎(『トンデモフリーメイソン伝説の真相』『検証 陰謀論はどこまで真実か』等)によると、「フリーメイソンは何をしているのか」という問いはロータリークラブやライオンズクラブが何をしているのかという問いと同様であり、ボーイスカウトを思い浮かべてもよく、ボランティア活動も一生懸命で、フリーメイソンはロッジ内で商売や政治の話はできないので陰謀を巡らせるような組織でもないそうである。

フリーメイソンリーとは「全人類の兄弟愛という理想の実現」「文明というものがもつ真正で最高の理想実現」等を目的にする友愛団体であり、ボーイスカウト、ロータリークラブ、ライオンズクラブ等の社会奉仕団体のような慈善活動も行うが、慈善活動が全てというわけではない。

ロータリークラブの創始者であるポール・P・ハリスはフリーメイソンであったが、社会奉仕と慈善活動に専念する公開結社として、ロータリークラブを設立したといわれている。愛知県江南市のロータリークラブの話では、フリーメイソンリーからロータリークラブになった経緯としては、ポール・ハリスはフリーメイソンリーのように閉鎖的な秘密結社より開かれた組織を求めたのであろうということであり、ロータリークラブ側(RIA)は組織としてのフリーメイソンリーとの関わりは否定しているということである。フリーメイソンの高須克弥(高須クリニック院長)の話ではフリーメイソンリーがロータリークラブと同様の組織であるかというと、全く違うようである。元国際ロータリー会長レイモンド・ヘイバンズ(Raymond M. Havens)らもフリーメイソンである。

<引用ここまで> 

ってことで、書ききれないのであとは下記のリンクを見てください。
日本プロファイル研究所の記事です。
 24-衆-予算委員会-16号の考察 
 根津財閥からのコネクション ver1.1 
 4月28日:三条実美と根津家とか++ 
 西武ホールディングス

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