連載 第5回『野村證券とクボタ』

湯浅正巳との付き合いは、もう何年になるのだろうか?・・・・・・

湯浅正巳との付き合いは、もう何年になるのだろうか?本当に長い年月を二人で歩いてきたと思う。「貴方は、今日の選択出版を作り上げた最大の功労者です。」湯浅正巳から送られた感謝の言葉を有り難く受取らせて頂く。そして、お互いの苦労話やこれまで湯浅正巳から依頼された様々な案件や、二人して遊んだひとつひとつを思い出しながら、「任侠の思い出話」として連載をする事にした。

湯浅の元へ届く企業からの様々なトラブル話は任侠の世界でも大いに役に立った。 湯浅はそもそも雑誌財界の時に関西に島流しになっていたお陰で、関西の上場企業 に強かった。神戸や京都を拠点にしていた私(ワシ)にとっても馴染みの企業がい たりして都合は良かった。神戸製鋼やクボタ、京阪電鉄などは随分とお願い事をさ れた。皆、トラブルを抱えた企業や。

今、野村證券がインサイダーで騒がれているが、野村證券と言っても所詮「株屋」だから、昔から悪さ一杯の会社やったはず。株屋は何年経っても「株屋」であり、言葉を変えイメージを変えても事業の本質は手数料稼ぎでしかない。人の金を上手く引っ張り出して株を売り買いさせ、その手数料を取る、それだけの仕事や。顧客が損を出そうとそんなことにいちいち構ってはいられない。我々の仲間でも株屋をやっているのがようけおるが、所詮、株屋だから信用はされていないな。その昔、野村證券は、総会屋利益供与事件で世間を騒がしていたが、逮捕された総会屋は小池某だったが、それほどの大物ではなかったはずや。野村證券は小池某に脅されている振りをしていたに過ぎなかったのではないか。野村の社内総会屋が小池某の名前を都合良く使っていたに過ぎない。関西の上場企業も皆そうや。その昔、大阪の京阪電鉄の幹部からいろいろなトラブルの解決を依頼されていたが、担当の役員は、私を接待すると言っては大金を使っていたそうや。その役員は社内で都合の悪い事が起きると、私の名前を使って反対の派閥にプレッシャーを掛けていたようだ。小池某もそんな感じや。野村證券とも長い付き合いがある。

ある時、湯浅から野村證券に一括で株の売り買いを任せるが、余裕のある資金があるなら一緒にどうか?というお誘いだった。湯浅は資金を増やすことについては強欲だった。いつだったか、麻布十番のフレンチレストラン「レ・シュー」で選択出版の専務で選択エージェンシー尾澤(仮名)から「インサイダーの取引は止めて下さい。」と注意を受けた時、「上がるか下がるか分からない株を買う馬鹿がいるか!インサイダーだから買うんだ!」と一括していたのを覚えている。

この男、経理の人間に指示して株の売買をさせていたが、売り注文を指示した翌日に、株価が上昇してしまった事があった。湯浅は、翌日、何食わぬ様子で、この株を売る指示を出した。前日に売りの指示をしているにも係わらずだ。経理マンは驚きながら「湯浅さん、昨日、売りの指示を頂いて売却しています。」と震える声で答えた。当然や。ここからが、湯浅の卑しい人間性のなせる技だが、「昨日、売りの注文を出すはずもない上がった分の差額をお前が弁償しろ!」と平然と言い放ち、泣く経理マンから弁償させたそうだ。この件をきっかけに、会社の電話に留守電の装置を取り付け、湯浅から電話が入ると皆、留守電のセットをしていたそうだ。全ての社員から信用をされないトップとは悲しい男や。こんな男が上司だったらと考えてみると、ぞっとするな。ほんま選択の社員は偉い。この経理の女性はその後も湯浅の陰湿な苛めに合い、ついに辞めていった毎年、ほとんどの社員が入れ変わるほどの解雇率やから、不思議なことではないけどな。

野村證券の話に戻る。ずっと野村證券が選択出版を儲けさせている訳ではなかったが、ある年、年間の扱いの中で損失が出た。湯浅がその報告を担当部長から受けた時に、「そんな大事な話の報告に社長が来ないとはどんな了見か!」と激怒したそうだ。そうしたら、それ以降、いつも数千万円の利益を計上してくるようになったと喜んでいた。「次回の振り込みの際に、資金を出して下さい。一緒に儲けましょう」と声を掛けてきた。そんな話を聞いた後、ほどなくお誘いが入った。レ・シューで湯浅と一緒に野村證券の説明を聞く。

どんな説明があるのかと思っていたが、ただ、野村證券にお任せ下さい。二度と下手は打ちませんのでといった話だった。この手の話の時には湯浅はいつも上機嫌だ。「お宅の社長が頑張っている記事でも書くので、ネタを持ってくるように。」と選択誌面での協力も約束していた。

話はそれるが、創刊時、広告営業に大阪に出向いた飯塚湯浅に、サントリー社長(当時)が「見たこともない雑誌に広告は出せない。」とけんもほろろに断った。二人の出身母体の雑誌財界から「選択とは付き合うな」とプレッシャーを掛けられていたサントリー社長は、若い二人が門出に掛ける熱い気持ちには気付かなかったこれが選択サントリー戦争の原因だそうだが、解決するまでに20年の年月が掛かった。私憤や私怨で記事を作る事にかけては天下一品の湯浅を敵に回したサントリーは苦労の連続だったと聞いた。野村證券のような株屋にとって、選択のような媒体から総攻撃を掛けられるぐらいなら、喜んで貰いましょうだったに違いない。

「絶対に儲かる」と湯浅から言われ、何億だったか、選択出版の口座に振り込み、選択出版の扱いで株の売買をして貰った。一年後、3~40%の利益が乗って戻って来た。どの銘柄の株を売り買いにていたのか?と聞いても教えてくれはしなかったが、有難い話なので黙って湯浅に任せていた。

売買した銘柄が分からないなんて話はどこにも有りはしない。湯浅が担当部長を激怒した以降、総会屋小池某と同じ扱いになっていたのだろう。これは選択出版に対する「利益供与」だろう。

湯浅はこういった場面でも笑える行動を取っていた。

選択出版の資金を野村證券に預けるのだが、利益が出て戻ってくると湯浅個人の売買にすり替えてしまう。即ち、会社の資金で株を買って、儲かると湯浅の売買だった事にして利益を盗み取る事を繰り返していた。嫌らしいやり方だと言うと、「とんでも無い。たまたま会社の資金を借りたまでですよ。」と平然をしていた。

湯浅の金への執着は凄まじいものがあった。その一例だが、選択出版の売上も選択エージェンシーでやる業務も、全て管理監督をしていた。しかし、選択エージェンシーの尾澤がやっていた官公庁ビジネスは尾澤個人の会社でやっていた。大きなビジネスだったようで、湯浅にとって、気になって仕方なかった。いつも「会長、尾澤が個人会社でやっているビジネスも選択エージェンシーでやるように話して下さい。」なんてお門違いの依頼もあった。湯浅には子供のおもちゃのように欲しくてたまらなかったようだ。ある時、レ・シューで尾澤を説得し、全てのビジネスを選択エージェンシーでやることになった時は喜んでいたな。

湯浅はいつも尾澤を凄いビジネスをやる男だと自慢していた。しかし、事件を起こした途端に、自分の関与が警視庁から疑われる事を見て、一切知らない話にしてしまった。この男をずっと見てきて思うことは、逃げの早さだ。まさに手のひら返し人生だな。飯塚さんが亡くなった時も、手のひら返しで退職金も払わなかった。当然ながら訴訟になったが訴訟されて始めて支払っていた。それも数年の分割で支払う事にしていた。死亡退職金保険が下りているにも係わらずだ。

湯浅の卑しさが本領発揮された話だ。

株で言えばもう一つ面白い話がある。クボタの社長が退任するに辺り、湯浅のひいきの築地の寿司屋の個室で 在任中の感謝の言葉があったそうだ。その言葉だけでは喜んではもらえない事は承 知している社長は「来月早々に、V字回復を発表します。それまでに、我が社の株 を買っておいて下さい。」と囁いたそうだ。湯浅は翌週の月曜日の朝一番で、「ク ボタ株5000万株購入」を経理に指示していた。クボタ社長からのインサイダー情 報に基づく売買で有ることは明白であり、寿司屋の会食に同席していた幹部が「イ ンサイダーになりますので、売買は中止に。」と告げると、前述と同じ言葉が飛ん で来たという。「インサイダーだから買うんだ!」

 選択を発行する目的は飯塚さんとは違い、利益を得る手段でしかなかった。どんなに偉そうな事を言っても、私には、ただの卑しい男としか見えなかったし、それは間違いではないだろう。

次号も楽しみに。

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