学生スポーツの「活動自粛」=「連帯責任」論について・・・関東学院大学ラグビー部のケースを例に。

関東学院大学のラグビー部員2人が大麻取締法違反の現行犯で逮捕された問題で,関東学院大学ラグビー部は活動自粛に追い込まれたそうです。所属する部員が犯罪を犯した疑いをかけられるなどの不祥事により,部全体が活動停止を余儀なくされるという何とも日本的な光景(?)ともいうべき,いわゆる「連帯責任」論に違和感を感じる方も少なくないはずです。それでは,その違和感はどのような理由により生じるのでしょうか?本稿ではその理由を考えてみたいと思います。まず,そもそも責任とはどのような場合に発生することになるのでしょうか?国語の辞書によれば,「責任」とは以下のように定義されます。/*(1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。(2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。(3)〔法〕 法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。*/この問題で考えるべきなのは,(2)の意味だということになるでしょう。ラグビー部が全体として不祥事の責任をとるなら,「ラグビー部がかかわった事柄や行為から不祥事が生じた」と評価できなければならない,ということになるわけです。ここで問題となるのは,この「かかわり」という概念で,これは濃淡,程度を含めて考えるべき概念だといえます。「かかわり」が薄いのであれば,責任をとらなくてよいし(例:同じ日本人でも,見ず知らずの人が起こした不祥事の責任をとる必要はない),「かかわり」が濃いのであれば,責任をとらなければいけない(例:自分自身が起こした不祥事の責任はとらなければならない),というように考えるということです。本件についていえば,確かに,不祥事を起こした個人はラグビー部員という地位にもあるということで,その個人の行為がラグビー部と「かかわり」がないとはいえませんが,それでは,ラグビー部全体として犯罪と疑われるような行為をしたと評価できるまでに密接な「かかわり」がその個人の行為とあるのか,といえばそれは無いでしょう。ラグビー部全体として個人の行為にどこまで「かかわり」があったと評価できるのか,この評価が「連帯責任」となるかどうかの分かれ目になるはずです。この「かかわり」を考える上で重要だと思うことがあるのですが,それは部員のプライベート(私生活の自由)をどう考えるのか,ということです。仮に「部員が起こしたあらゆる不祥事の責任を部全体でとる」という立場をとったとしましょう。その場合,必然的に部は部員の私生活にあらゆる点で介入しなければならないことになるでしょう。部員のあらゆる行為の結果の責任を部が負わなければならないのであれば,部員のあらゆる行為が部の行為と評価される程に密接に「かかわり」がなければならないと考えられるためです。平たくいえば,「全体主義ちっく」に部があらゆる面で部員を管理して活動しなければいけないことになるわけです。つまり,このような事例においてある主体が責任が問われる領域は,その主体の管理領域に重なる部分が多く,したがって,いわゆる「連帯責任」が問われる領域が広がれば広がる程,部が部員を管理しなければならない領域も広がり,部員の私生活の自由は失われていく,と。ご存知のように,我々の社会は,自由主義,個人主義を「建前」では標榜する社会なわけです。「建前」通りにそのような社会を望ましいと考える人にとっては,学生スポーツで繰り返される「活動自粛」は,事例にもよりますが,どうにも「全体主義ちっく」で違和感を感じることになるのだと思います。自由主義,個人主義を標榜する社会では,責任のとり方も「全体主義ちっく」にではなく「自由主義,個人主義ちっく」にが自然だと思いますが,不祥事というある種の緊急事態が起きると,「建前」を脱ぎ捨てたその社会の「本音」が首をもたげてくるようで怖いですね。なお,管理領域を超えた広い範囲で責任を問うのは,責任を問う基礎が欠けている領域において責任を追求するという意味で不当な責任追及となると思います。現在の学生スポーツではおそらく,部員の自由を尊重する,つまり,部の部員に対する管理の手を緩める流れがある一方で,部は社会にいわゆる「連帯責任」を広く追求されるというアンバランスな状況にあるのではないか,つまり,結果として社会の責任追及は不当な責任追及ではないか,と思います。公私二分論的にいうなら,通常は,まがりなりにも公/私の線引きがあるのに,不祥事が起きた場合にはその線引きが消滅してしまうかの如く扱われるのはおかしいのではないか,責任の線引きも通常の公/私の線引きに沿って行われるべきだ,ということです。



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学生スポーツの「活動自粛」=「連帯責任」論について・・・関東学院大学ラグビー部のケースを例に。

問題にすべきは、「連帯責任の適否」や「個の確立云々」ではなく、

「チームの一員である個々の部員が勝手なことをすれば仲間や監督や周囲の人間に迷惑がかかる」

という基本的な集団生活のルールすらわからなくなってしまった今の日本人の利己主義・孤立化に関してである。

そして、

近年の〝利己主義化した日本人の大量発生〟という惨状を招いた張本人こそ、連帯責任を攻撃している当の日本のマスコミである。

この事実をまず押さえておかねばならない。

この事実を確認しておけば、一部マスコミ関係者を始め連帯責任を攻撃している人間の意図が見えてくる。

学生スポーツの「活動自粛」=「連帯責任」論について・・・関東学院大学ラグビー部のケースを例に。

皆さんが真面目に考えていること愛情が感じられるコメントに感激して投稿しました。
春口元監督に体育を教わり授業中にラグビーやんないと誰彼かもわず声をかけていたことを思い出しました。20?年前ですけど。出場停止になってお正月の楽しみを奪われたOBが一番残念です。なんて言ったら怒られちゃいますかね。今回のことは、すべて大学が悪いと思います。単純な意見でごめんなさい。春口監督や選手やラグビーを食い物にして、大学の宣伝に使っていたんですよね。甲子園に出てくる新興高校のたばこやいじめの事件と同じレベルなのが悲しい。大学の経営という問題で、皆さんが真剣に論議すればするほど大学は考えているのかよと思っていしまいます。本当の意味で事件の再発防止を考えてほしいと思いますよ。事件を起こした学生には自分の起こした事件がどんなに周りの人に迷惑をかけたのか身にしみて自分を律するきっかけになればと思います。

学生スポーツの「活動自粛」=「連帯責任」論について・・・関東学院大学ラグビー部のケースを例に。

連帯責任論ということで興味深く見ていましたが、私は必要であると思います。
昨日、国営放送で同じく不祥事を起こした同志社の再起に向けての取り組みを番組で見ていました。その中で、
『今回の事件は起こるべくして起こった。』という反省がありました。今回の事件も含めて
どこでも生じるべき事項ではないかと思うのです。
そのために防ぐ手立として必要ではないかと思うのです。

この手の事件が『ない』のが一番です。
どのようにしたら、事件を防ぐ事ができるかということですね。集団責任はそれから論じて頂きたいですね。

と思ったら、どうも関東学院の事件が2人だけでないような報道が出てきました。

何故この時期に10数人という報道が出てきたのか?事実確認を待ちたいですね。

学生スポーツの「活動自粛」=「連帯責任」論について・・・関東学院大学ラグビー部のケースを例に。

私は連帯責任は必要だと思います。
いくら個人のことだといっても関係してる人は何らかの措置を受けるべきではないでしょうか?確かにまじめにやってきた人にとっては残念で、かわいそうだと思います。しかし、仲間がした行為にしらんぷりで自分には関係ないといえるでしょうか。もし言えるのであればそれは同じことをしてきた仲間と言えるはずがありません。いくら事件を起こさないようにしてきても起こってしまったことはしょうがないのでこれから同じことを繰り返さないためにも連帯責任というかたちで一緒に過ごしてきた部員はよく考えるときだと思って処分を受けるべきではと思います。
理想論かもしれませんが私はそうおもいます。


 

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