今回の事件の概要

今回の事件について

例によって運営会社に対するマスコミのバッシングが苛烈化している。

「生贄」を差し出しても、この問題は解決しないと僕は思う。会社が悪い、という結論は正しいのか?

「虐待する職員をマネジメントできなかった会社」

虐待はあってはならないことだ。

しかし、虐待するためにこの仕事を選んだ人はいないはずだ。

要介護者、特に認知症の人に対しては、相手を理解できないがために、苛立ちや怒りを覚えてしまうことはあるだろう。 介護しているご家族もそれは理解できると思うし、在宅医療という立場から患者さんに関わる僕も、時にそのような感情が生じてしまうことは否定できない。現役の介護職員の方々はどうだろうか?

プロなのだから、相手の目線でケアを提供すればいい、などと言うのは簡単だが、決して容易なことではないと思う。

苛立ちや怒りでない形で相手を受け入れること、そしてその感情が生じたときに、暴言や暴力以外の形でアウトプットできること。 ある程度はトレーニングできるだろうが、本質的に苦手な人もいると思う。

数人の職員であれば十分目が行き届く。

これが数千人になったら。もちろん事業所単位で目が行き届く仕組みを作ることになる。

しかし、大手企業になれば、運営施設や事業所の数も増える。その分リスクは累積されていく。これは避けられない。

数人の職員が問題を起こす可能性と、数千人の職員の中の誰かが問題を起こす可能性と。

今回の事件は、特定企業のマネジメントの問題というよりは、単に母集団の大きさの問題だと僕は思っている。

ある程度以上の規模で介護事業を運営している人たちは、正直、少し戦々恐々としていると思う。うちは絶対に大丈夫、と胸を張れる事業者のほうが少ないのではないだろうか。

最大のバリアントは個人の特性だと思う。

この会社には、少なくとも業界標準以上のサポートの仕組みはあった。

しかし、どんなに優れた人事管理制度・教育研修制度・福利厚生があっても、数千人を100%管理することなどできない。

採用時に厳格な適性検査を導入して、不適合者を採用しないというのは一つの方法かもしれない。しかし、警察や検察組織でも時として犯罪者が発生する。適性検査だけでクリアできる問題ではもちろんない。

これは業界全体で取り組まなければならない課題であるように思う。

「事業を拡大し、サービスを二の次にした拝金主義」

事業規模と品質管理は反比例するという前提で話が進みがちだが、果たしてそうなのだろうか。

訪問診療を通じて、さまざまな現場を見てきたが、事業が小規模なところほどサービスがよい、という意見には賛成できない。

もちろん経営者の信念が現場に浸透している小規模な事業所は、素晴らしい介護サービスを提供しているところもある。 しかし小規模事業所は、経営不振でサービスが継続できないところ、時間とともにサービスの品質が劣化していくところも少なくない。

もっとも重要なことは「持続的・安定的にサービスを提供していく」ということではないだろうか。

そもそも事業として成り立たなければ、介護サービスを提供し続けることはできない。

事業を拡大するということは、小さく独自色を放ち続けるというのと同じく、介護事業会社として生き残るための一つの選択肢。

特に高齢者施設運営には十分な資金力が要求される。

借入だけで事業を大きくすれば、簡単に倒産してしまう。

介護保険のルールの中で順調に事業を拡大してきたというのは、そのサービスが利用者に支持されてきたからではないだろうか。 大手と言われるまでに成長を続けてきたのは、法人としてのマネジメントがきちんとできている、ということではないのだろうか。

僕は「事業拡大」=「金儲け主義」=「悪どい」という単純な図式は成り立たないと思う。(トヨタやソフトバンクが拝金主義の悪どい会社だという人には敢えて反論しないが)

問題はどこにある?

この会社だけが問題なのであれば、バッシングして潰してしまってもいいかもしれない。

でも僕は「この会社でも問題が起こるのだ」と考えるべきだと思う。

問題を指摘された会社が運営する高齢者住宅には、悠翔会も在宅医療を提供している。僕が主治医としてかかわっている施設もある。

数年のお付き合いがあるが、僕が知る限りは悪質事業者というイメージはない。ケアマネもサ責もヘルパーも、僕の知る範囲では、みな真剣に仕事をしている。

医療依存度の高い患者さんの看取り支援など、他の介護事業者に比べてもスキルは高いと感じる。教育や研修の仕組みも内容もとても充実している(電話帳のような分厚い研修資料も見せてもらったことがある)し、勉強会の講師を担当しても、みんなとても熱心に講義を聞いてくれる。そして現場のサービスにきちんと反映されていく。

高齢者住宅の運営関係者なら誰でも知っていると思うが、他社が足踏みするような実験的事業でも、日本の将来に必要であると確信すれば、数年の赤字覚悟で果敢に挑戦する会社だ。

持続可能な高齢社会の形づくりに真剣に取り組んでいる、日本の介護業界にはなければならない会社の一つだと僕は思っている。

僕は、これは社会全体の問題だと思う。

みんなが当事者意識をもってこの問題を考えなければ、本当の解決は得られないと思う。

家族がいない、あるいは家族とともに生活することができない高齢者の存在。

家族の役割を介護保険という公的な仕組みで肩代わりしようという試み。

それを支えるための財源は年々厳しさを増していく。

介護の現場尾の仕事は、精神的にも身体的にも決して楽ではない。介護保険の点数は国が決めるので、それを超える給与がもらえることはない。

一方で、介護事業の運営には、3年おきに改定される保険のルールを先読みしながら、財源と人材の絶対的不足の中での微妙な舵取りを強いられる。

公立病院のように赤字だからといって、それが補填されるわけではない。

もし、今以上に安心・安全な介護サービスを受けたいと望むなら、介護サービスを提供する側はもちろんだが、受ける側にも努力が必要だと思う。

まずは利用者・家族と、施設運営者・職員とが、もっと細やかなコミュニケーションを取ること。

お互いをよく知り、信頼関係を作っていくことから始める必要があると思う。その中で不適合があれば、情報を共有し工夫していくことで最悪の結果は少なくとも避けられる。

これは双方に努力の余地があると思う。施設側にコミュニケーションの努力が不足している部分ももちろんあるが、残念ながら(特に高齢者住宅や施設に一度入居させてしまうと)重大な意思決定に際しても連絡が取りにくい家族も少なくない。

そして介護職員の待遇改善と慢性的な人材不足の解消。

そのためには民間事業者にも努力を求めるが、経営の存続とのバランスの中で、一方的に職員の給与を上げろ、とは言えない。

給付を増やすために介護保険料や消費税もう少し上げなければならないかもしれないし、利用者の直接的な自己負担を増やすことも検討しなければいけないかもしれない。

慢性的な介護職不足は、一法人の責任ではない。国全体で見直しも考えなければならないかもしれない。

医療・介護報道への提言

報道の向こうに、現場で日々の使命に真摯に向き合っている仲間の姿が見える。多くの介護現場では、みんな利用者を支えるために全力で頑張っている。

今回の報道が、介護職員や介護事業会社に対する評価を変えてしまうことを僕はとても懸念している。

僕は一度、終末期の方を見守るために、一晩、有料老人ホームで夜を明かしたことがある。介護力ゼロの僕ですら「手伝おうか?」とつい声をかけたくなるような現実がそこにはあった。

記者の方々には、介護の現場がどのようなものなのか、記事を書く前に一度24時間の密着取材をご提案したい。 型どおりのバッシングは視聴者の共感を得やすいかもしれないが、ぜひその深い洞察力で事の本質を見つけ出す手助けをしてほしい。